―山川さんは、20代の頃から飲食の世界に関わっておられるそうですね。
僕は元々、大阪でスポーツクラブのインストラクターをしていたんです。仕事はとても好きだったのですが、当時の月給が13万円くらい。このままでは5年、10年先のビジョンが見出せないなと感じて退職し、先輩と友人とで訪問販売の会社を設立しました。しかし販売ノウハウがあるわけでもなく、1年で撤退。そんな時に先輩から「居抜きで居酒屋をやるから一緒にやらないか?」とお誘いを受けたんです。それが飲食業に入る一番最初のきっかけです。
23歳で飲食に転職してみると、本質的にスポーツインストラクターの仕事とすごく似ている部分があるなと感じました。例えば、居酒屋に来店するお客様には商用のサラリーマンもいればカップルの二人連れもいて、それぞれニーズが違います。インストラクターの仕事も同じで、健康増進したい年配の方や、ダイエットしたいOLさんなど、目的は多種多様です。それぞれのニーズを掴んだ対応をして結果を出さないと、レッスンをリピートしてもらえず人気もなくなってしまうんです。
―サービス業という意味でも居酒屋での仕事はご自身にとって天職だったのですね。
自分たちが好きでやりたいことだけを提供するのではなく、相手が何を望んでいるのかをしっかり把握しなければ結果が出せないという部分では、すごく自分に向いていました。その店での調理が出来る様になり、次にホールを担当し、その後4年間くらい店長を経験して、1998年、ちょうど27歳の時に、オーナーさんからお店を分割2000万円という金額で買い取らせてもらいました。
―27歳で経営者に!
―そうなんです。その後、いろいろなお話をいただくのですがことごとく失敗し、結果残った3店舗から本格的に飲食のイロハを学び出しました。その頃はすごく大変で、3年間くらいは自分でトラックを運転して青果や食材を仕入れ、各店に直接配送して回っていました。と同時に、経営に関する本を読んだりセミナーを受講したり、自分で積極的に勉強するようにもなりました。
毎日配送で各店を回って「店の看板やメニューはもう少しこうしたほうがいいな」とか、「店舗会議のやり方はこう変えよう」とか試行錯誤するうちに、オペレーションの采配が向上したんですかね。ある時、当時からお世話になっていた方に、京都にある老舗のつゆしゃぶ屋さんのプロジェクトのお話を頂き、僕らがライセンス契約で大阪に直営店を出させてもらうことになったんです。
そして、この「京都烏丸つゆしゃぶ chiriri大阪店」の立ち上がりがとてもよかったので、その次の展開として、東京・汐留にビル一棟の物件を借りて「京都烏丸つゆしゃぶchiriri汐留店」「汐留バル7」「salon de O」3業態同時出店という形で進出したのが2003年です。
―独立から5年で快進撃ですね。㈱OICY代表取締役である兼子栄治氏とはどんな経緯で知り合われたのですか。
それは3.11の震災がきっかけなんです。「chiriri」で東京進出を果たし、2都市で10店舗ほど展開するようになっていた2011年に、東日本大震災が起きました。3月といえばちょうど歓送迎会の時期。それなのに、オフィス街にある系列店舗の予約客がほぼゼロになってしまい、しかも東京だけでなく大阪にも余波が及びました。やがてビルを造作譲渡したり、お店を手放したりして事業を整理せざるえなくなってしまったんです。僕自身には借り入れもありますし、サラリーマンで再就職という選択肢はなかったんですね。
当時、直営店以外にも僕の個人事務所の方ではプロデュースやコンサルティングの仕事に取り組んでいて、美川憲一さんが監修を務める「鉄板焼き みかわ」ステラ薫子さんが監修の「タロットレストラン369」「鉄道模型バー銀座パノラマ」「古民家再生の渋谷バーすがはら」など他業種からの飲食事業部立ち上げ・町家の再生事業などのプロデュース、幹部育成・チーム育成コンサル業務などをやらせていただいていたんです。それで、落ち着くまではフリーランスでやっていこうと決意しました。その時僕は39歳、10数年で創り上げてきた仲間や、お店を全て手放し「さて、また1からスタートだな」という感じでしたね。
そんな経緯があって、これからの事業の在り方を模索していたその年の10月に、知り合いのプロデューサーの方に「どうしても会わせたい人がいる」と兼子を紹介してもらったんです。以前からお互いに存在は知っていたんですが、会うのはこの時が初めて。兼子と僕にはそれぞれ互いにない魅力があってすぐに意気投合し、そこから一年間くらいかけて方向性をディスカッションした後、2012年に㈱OICYを立ち上げました。
―㈱OICYは、どんなことを目標に立ち上げられたのですか?
つまるところ、現場の人間が輝いている店こそ本当にいい店なんじゃないか?飲食業というのは結局マンパワービジネスだというのが兼子と僕の共通の見解です。いい人材を育てて国内の飲食業界に貢献することや、日本の飲食ビジネスを世界へ輸出し、いつか「おいしい」を世界共通語にしたいという想いを元に㈱OICYを立ち上げました。
現在では、「串カツ田中」のFCや直営店の「東京馬焼肉 三馬力」などの経営や飲食店プロデュ?スと、飲食店をディテール&コンテンツと捉えて古くなったビルや街の再生を手掛けるという2つの事業が当社の中心になっています。さらに今年は8Gホールディングス体制に移行し、飲食事業㈱OICYと、ブライダル事業㈱EN、ビル仲介再生事業(株)TENPO不動産の三本の柱で組織を構築しています。
―昨年9月1日からは、飲食業界に特化した就職・転職支援サービス「飲食マン」をスタートされました。
もともと人材紹介のビジネスは、兼子が僕と㈱OICYを立ち上げる前から強く関心を持っていた分野なんです。僕自身も長く店舗経営をやっていますので、人材の問題をクリアできたら会社は絶対にうまくいくという確信があり、ずっとやってみたいと思っていました。
また、僕の方では店舗コンサルティング業務に即して多数の相談をいただき、毎月100人くらいの店長さんと接するのですが、彼ら現場の若者たちと接していると、過酷な労働環境の中で、自分を活かすスキルや知識を持たずに働いている子が多いと常々感じていたのも大きいです。
―昨今では飲食業界で慢性的な人材不足がうたわれていますが、その反面、現場では長時間労働などのシビアな現実もありそうですね。
この仕事を選択する時点で、本来みんなすごく心がキレイで純粋な子ばかりじゃないですか。でも、実際には考える力が残らないくらい疲弊していたり、ひたすらトップダウンで機械のように働かされていたりする現場を少なからず見てきました。
10代20代なら、オーナーの言う通り朝から晩まで「ハイ!わかりました!」って大きな声で返事するだけの毎日でもいいかもしれないけれど、ふと気が付いたら将来的に先がなくて「あ、マズイ」という感じで違う業種に転職する子も多い。それは本当にもったいないし、飲食業界全体にとって非常にマイナスだと思うんですよね。
―本当にそうですね。では「飲食マン」には、長い目で業界内の人材を育てていきたいというビジョンがあるのですね。
そうです。僕たちはただの仲介企業ではなく、プレーヤーサイドの立ち位置に立った人材派遣会社を目指しています。自分の強みを活かして、業界で活躍できるようなスキルや考え方、人間性を身に着けた“セルフスターター”を育成したいのです。
今の時代、情報はどこにでも溢れています。彼らに必要なのは「情報量」とそれを「選択する目」なんです。僕たちは、彼らに「まずは自分の目標となるメンターを見つけて、それを元に5年、10年先の未来をイメージしてみるといいよ」と、愛情を持って教えてあげる存在でありたいです。
―具体的にはどんな雇用主や転職希望者を想定されているのでしょうか。
まず転職希望者に関しては、必ずしも「今すぐに転職したい!」という人でなくても、漠然と将来に転職を考えている人や、とりあえず今後のビジョンについて相談したいという形であっても登録していただいて構わないのです。拠点は東京と大阪にありますので、面談をした後、勉強会やセミナーに参加したり、ディスカッションを重ねていくこともできます。
採用面接の際は、会議室では口下手な人でも自分のいい部分をアピールできるよう、極力現場でのパフォーマンスや実技を見てもらう紹介の仕方を心がけています。最終的に自分自身が本当に納得いく働き方に到達してもらいたいですね。
雇用主さんに関しては、これまでの僕らのキャリアの中でご縁があり、本当の意味で信頼関係を結んだ方を中心にお付き合いさせていただいています。トップの方達の人間性や考え方に共感できて、組織体質がしっかりしている企業に人材をアテンドしたい。同業他社さんとの差別化の意味でも、“人を大事に育てる”という意識の高い方とだけ契約させていただく、そのくらいエッジを利かせたスタンスでいたいと思っています。
―それは転職希望者にとって心強いですね。「飲食マン」では、採用決定者に20万円の入社支援金が支払われるというのも印象的です。どんなシステムになっているのですか?
転職したくてもお金がなくて現状を変えられないということがないように、採用者にはお祝い金をお渡ししています。そのお金を引越し代や包丁を買う費用に充ててもらえればと思っているんです。
その分の費用は、オーナーさんから僕らにいただくギャランティから支払われています。「飲食マン」は完全成功報酬型かつ業界最安値を自負していますが、宣伝広告コストをほとんど掛けていないので、その分の金額をお祝い金に還元しているイメージですね。
僕たちとしては、差し迫ってまとまった利益を上げるというよりは、口コミで丁寧にこの事業を育てていきたい。現状では、東京と大阪で約100社の企業様に登録していただいており、転職実績は関西を中心に月3,4件あります。全体の数字をこの先もっと増やしていければ、よりよいサイクルが出来上がっていくと思っています。
―人材不足の問題をポジティブに解消できれば、飲食企業にとっても大きなメリットですね。
例えばスタッフに「辞めたい」といわれると、雇っている側としていい気持ちはしないですよね。でも、人間一度「辞める」と決心してしまったら、どれだけ嫌味を言ったり引き留めたとしても結果は同じだったりします。僕達としては、オーナーさんには「それなら応援するよ」といってもらいたいんです。「飲食マン」では、次の転職先が決まった際には、サポートをしていただいた元の雇用主さんにも報酬の10%を支払うシステムになっています。その金額で、一人欠けた分の損失を少しでも軽減して次の求人費用の足しにしていただく。そんな循環を作っていけたらいいなと思っています。
「飲食マン」は登録にコストがかからないので、ある程度の規模があって、ネットや雑誌に常に求人を出している企業さんでしたら、必ずメリットはあると思いますね。
―なるほど。震災という大きな出来事をきっかけに現在の山川さんと「飲食マン」が作られていると思うと感慨深いですね。今後はどんなことを目標にされていますか?
今は、自分たちの理想をより現実に落とし込んでいくために試行錯誤している最中です。今後は、経営者交流会のような形で、現場で働く人同士が交流してチームビルディングの勉強をするような飲食JOBカフェなどを構想しています。
働いて自立していくためには、誰もが経営者の自覚を持たなくてはいけないと思うんです。例えそれがお金を生み出さなかったとしても、自分に適したサイズ感で、何かしらのビジネスを作りだしていく必要があるし、本来ならみんなそれができるはず。㈱OICYとしては、今後100社の社長を生み出したい。兼子と僕は常に新しいビジネスを作っていき、適材適所で権限委譲していくというイメージです。
実際問題として、3.11がなかったら自分は今のような状態にないと思います。元々自分がやりたかったスタイルに、震災があったことで少しづつ近づいてきている実感があります。形あるものが消えてなくなるのは怖いし、不安だけれど、何か確固たる信念やベースが自分の中にあれば、人間ってなんとかなるものだと本当に思いますね。
(聞き手:大山正/文:中村結)