スペシャル企画

クロスロード×居酒屋甲子園スペシャル〜外食経営者のルーツと転機〜vol. 12/株式会社てっぺん 代表取締役・NPO法人居酒屋甲子園 第9代目理事長 和田裕直氏

【居酒屋甲子園コラボスペシャル】この企画は外食経営者の「クロスロード」、すなわち人生の転機となった出来事や自身のルーツについて、ライフチャートを経営者自ら描いて頂き、それに沿ってこれまでの人生を深掘りしていくインタビュー企画となっています。

第12回目は、11月11日に本大会が開催される「第18回 居酒屋甲子園 全国大会」直前スペシャルということで居酒屋甲子園とのコラボ企画として同団体の第9代目理事長で株式会社てっぺん 代表取締役の和田裕直さんにインタビューしました。スポーツ少年から料理人を目指したきっかけ、そしててっぺんとの出会い、経営とマネジメントの苦悩、居酒屋甲子園にかける想い、第9代目理事長としての展望などについて語ってもらいました。


株式会社てっぺん 代表取締役

NPO法人居酒屋甲子園 第9代目理事長

和田裕直氏

出身地:長野県上田市

生年月日:1987年7月23日生まれ。

企業ホームページ:【てっぺん】https://teppen.co/ 【居酒屋甲子園】https://izakaya-koshien.com/

ロード1

お山の大将だった少年時代、バスケ特待生で闘魂注入。そして料理人の世界へ

大山:今回「居酒屋甲子園 全国大会」目前ということで緊急で取材にお邪魔しているんですが、せっかくなので和田さんの半生から大会にかける想いに繋げていきたく思いまして、和田さんはどちらでお生まれになってどんな幼少期を過ごしたのですか?

和田さん:僕は長野の上田という、長野の中でも何て言うか、第三の都市ぐらいですかね、そこで生まれました。上に姉が2人いて僕が末っ子の長男なんです。だから上からのお下がりとかもなく、基本的に欲しいものは全部手に入るような、そんな感じでした。おじいちゃんが「和田家を継ぐ男が生まれた!」ってことで、もうとにかく甘やかしてくれて(笑)。町内で一番でかい鯉のぼり買ってきたり、とにかくすごかったんですよ。そんな甘えた幼少期ですから、かなりわがままに育ちまして(苦笑)。よく、女兄妹の中で育つと女々しくなっちゃうみたいな話聞くんですけど、僕は本当にわがままのわんぱくの、もうガキ大将みたいな感じで幼少期過ごした感じです。それが5歳ぐらいです。

 

大山:そうだったんですね。可愛がられて育ったと。

和田さん:あまりにもガキ大将だったのもあって人間関係はそんなにうまくなかったんですよ。10歳の頃のある休みの日に、僕以外の友達たちが自転車でどこかに出かけるのを見て「あ、僕の周りに人が集まってたんじゃなくて、僕が人を無理やりかき集めてたんだ・・・」と気付いて(苦笑)。

 

大山:つらい!それはショックすぎますね(笑)。

和田さん:じゃあもっとリーダーシップを張らないといけないと思ったんですけど、当時のリーダーシップって、恐怖と強制というか武力というか(笑)。そっちのリーダーシップに、ゴリゴリ入ってたんですよね。そんなに僕は別に不良でもなければ、勉強ができるタイプでもない、どちらかというとスポーツで体動かすのが好きだったんで、そういう仲間たちと一緒にバスケットしたり、青春をしていました。正直、その時の人間関係を今振り返れば、そんなに輝いた姿勢で人を惹きつけたんではなくて、強制力を持って人を統率をしてたっていうような感じですかね。反省です(苦笑)。

 

大山:今の和田さんからは全く想像ができませんね(笑)。

和田さん:高校に入る時に、担任の先生に長野にある東海大系の付属校(諏訪高校)のバスケットのテスト受けてみないかって言われて受けたんです。100人ぐらい受けた中で2人受かって、そのうちの1人が僕でした。そこから寮生活になるんですけど、先輩方から愛のあるご指導をいただきまして(笑)♡

 

大山:今だったら大炎上するやつ、ですね(笑)。

和田さん:そこで少しは人への感謝だったり親への感謝だったりいろいろ学んだんですけど、すごく自分の人生の中で大切なターニングポイントだったなと思います。もしその高校に行って寮生活をしてなかったら今多分飲食もやってないですし、なんだったらちょっと危ない方向入ったんじゃないかなと思います(苦笑)。

 

大山:まさにターニングポイントですね。

和田さん:はい、それがなかったら半グレじゃないですけど、社会貢献なんていうのは一切考えない職に就いてたんじゃないかなと思いますね。厳しい生活の中で3年間を過ごして、ありがたいことに全国大会とかも行かせていただいて。

中学校の時、大会の帰り道で親父から「お前は(国土交通省と連携している)プリンスホテルに入ればいい」って言われたんです。親父は土木業だったんで、いい時は良かったんですけど、バブル崩壊してからはうちも色々あったんで「お前は安定を求めなさい」みたいな。

大山:なるほど。何気なく言ってるのかもしれないけど、親の一言って芯食ってる時ありますよね。

和田さん:プリンスホテルには有名なシェフがいたんですけど、そのシェフの話を教えてもらった時に、親父が求めてる俺の職業は料理人なんだ、っていう若干のすり込みはありました。

 

大山:お父さんはホテルマンの方じゃなくて、料理の方のことで言ってたんですね。

和田さん:はい、それで高校の進路相談の時に「僕は(料理の)専門学校に行きます」と伝えて。社長になりたかったしお金持ちになりたかった。一代で成り上がるには自分の能力だけで成り上がれるものイコール料理!っていうのがリンクして、東京の辻調理師専門学校に行きました。

 

大山:大学で運動を続けるという選択肢は、一切なかったのですか?

和田:一切なかったですね。高校の進路指導のとき監督に呼ばれて「お前進路どうするんだ?」って言われた時に、料理の方に行きたいって言ったらダメだって(笑)。「お前はここに入れ!」ってパソコンでパッと見せられたのが自衛隊だったんです(笑)。しかも開いてあるページが特別なんちゃら・・・空挺団みたいな、お前ここに行けって言われて。僕、バカみたいに体力あったんで。その話を監督と3、4回しました。そんなこともありつつ、料理の道を選びました。

 

大山:自衛隊の和田さんもそれはそれでカッコ良さそうですけどね(笑)!

和田さん:ほとんどのメンバーは東海大系の高校だったんで、東海大学に進んで僕は一人専門学校の道を選んで行くんですけど、正直本気で料理人になりたいとはその時思ってない自分なんで、みんな遊んでるのがめっちゃ羨ましい!と思ってましたけど、せっかく自分で選んだ道なんでってことで、フランスに行ける制度を持っている学校に入りました。1年間国立で勉強した後に、フランスに行ったんです。

 

大山:和田さんの経歴はなんとなく知っていましたが、それでフランスなのですね。なるほど。

和田さん:フランスで最初、日本人学校みたいなところに入って成績が優秀な人から星付きレストラン三つ星、二つ星、一つ星、星なしって配属されるんですけど、ありがたいことに僕は三つ星のレジスエジャックマルコン(REGIS & JACQUES MARCON)別名”きのこの魔術師”という、冬になると雪が積もりすぎて道がなくなっちゃうから春先から秋に向けての6か月か7か月ぐらいしかやってない山の中にあるレストランで学ばせてもらうことになったんです。そこでいろいろ修行させてもらって、日本に帰ってきて20歳後半ぐらいになった時に東京の一つ星レストランに就職したんですけど、その時は結構どん底で。

毎日何のためにやってるのかなみたいな壁にぶち当たって、レストランで働くのも朝早く入って、誰よりも遅く残って。1週間死んだように働いて。で、1週間のうち1日の休みはパチンコして過ごすみたいな。仕事が終わって家に帰る途中にちっちゃい公園があって、そこにホームレスが1人いたんですけど、その人の分と自分のビール2つ買って乾杯してました(笑)。話し相手が欲しくて。

 

大山:相当、追い詰められていましたね(苦笑)。

和田さん:全然料理っていうのが好きじゃなくなっちゃって。まあそんなタイミングの中で、勤めてたお店のシェフが独立するって言うんで、シェフに付いていくか、そのまま店に残るか、はたまた全く違う店に行くのか。そんな選択肢の中で、僕はシェフについていく決断をしました。オープンまで時間があるので「3ヶ月ぐらいアルバイトして待っててくれ」って言われたのでアルバイトしながら過ごしてた時に、ある友人のお誕生日祝いで行った居酒屋が「てっぺん男道場」だったんですよね。

てっぺんとの出会い、まさかの負債⚪︎⚪︎円、誤ったマネジメントでどん底へ

大山:そこで「てっぺん」なんですね。まさに人生の半分くらい「てっぺん」を知ってるような感じですね。

和田:予約してたのに、入り口で30分待たされたんですよ(笑)。その時に「これ飲んで待っててください、僕の奢りです!」ってビール出されて、こんなことやっていいんだ!みたいな。

それでお店入ったら「いらっしゃいませ!」っていう元気な声が来て、席に座って挨拶があって「みんな楽しそうだな」と印象的で羨ましくて。

それで「今日のおすすめなんですか?」って聞いたら「僕が作る日本一のチャーハンです」って。「じゃあそれをお願いします」って言って出来たチャーハンが、ビシャビシャで全然美味しくないチャーハン(爆笑)。こんなに美味しくないチャーハンを、日本一のチャーハンですって出してくるこの店すげえなって衝撃を受けました(笑)。僕は今までシェフの顔を見て仕事して、すべてシェフの顔色で仕事してたのに対して、当時の「てっぺん」の先輩たちはお客さんの顔見て、お客さんのテーブル見て仕事してたというか。圧倒的に羨ましかったんですよね。

 

大山:今も賑わっていますが、当時の「てっぺん」はものすごかったですよね。僕も覚えています。

和田さん:だからシェフには丁寧にお断りを入れて、22歳か23歳ぐらいの時に「てっぺん」に入りました。入って2年くらいで総料理長になって、幹部に入って。店長も経験したんですけど、自由にいろいろ仕事させてもらいながら、「てっぺん」では一生懸命やらせてもらいました。

 

大山:それでここですね。グラフがグッと落ちて人生の分岐点に入ったのかなと思うのですが、何があったのですか?

和田さん:28歳の時に(大嶋)大将から、社長やってみないかっていう感じでオファーいただいて「やらせていただきます」ということで、社長になりました。

で、なんですが・・・なったらなったで2億円の借り入れがあって現金1000万しかなくて、1ヶ月のキャッシュアウトが350万みたいな(苦笑)。会社が4〜5ヶ月持てばいい方です、みたいなそんな財務状況で(苦笑)。

 

大山:それは痺れますね(汗)。

和田さん:そんな会社の状態から背水の陣でとにかく僕も現場に立って、幼少期に培った人をコントロールするリーダーシップがありますんでみんなを恐怖と強制と立場を使って(笑)ゴリゴリに働いて。そうすると売り上げもちょっとずつ伸びてくるんですよ。で、調子に乗った時にこの急降下が来るんですけど。

 

大山:何があったのですか?

和田さん:ある時、女道場の女性店長が串焼きを焼いててお皿に焼いた串を乗っけて、マヨネーズのペンで今日もありがとうございましたを書いて、お風呂にぷかぷか浮かぶアヒルのおもちゃを乗っけて提供したんですよ。

それをお客様がInstagramのストーリーにあげてて、僕がそれを見たんです。それで「皿になんでおもちゃ乗っけてんだよ!」と思ってすぐに電話をかけて、自分料理やってきたじゃないですか、だからその時は許せなくてめちゃくちゃキレたんですよ。ふざけんじゃねえみたいな。電話先で泣いてるなって、分かってたんですけど。

 

大山:今思ったら工夫してくれてて全然ってか、むしろめちゃいいサービスしてくれてるって思いますよね。その時は許せなかったと。

和田さん:はい、それで次の日朝出勤したら、店長が駆け寄ってきて「二度としません」と。いいよ、分かってくれればみたいな感じでその時は終わったんです。でもそこから1週間経っても、2週間経っても、1ヶ月経っても、女性店長のモチベーション下がってて、全然元気じゃないし本当なんかもう死んだように働いててっていう状態になってるのを見て、それでランチに誘ったんですよね。

終わりがけぐらいに、本音言ってないなと思ったんで「俺とか会社にもっとなんか言いたいことないの?」って聞いたらいきなり泣き始めて、「正しいことも言ってるし、正しいこともやってると思うんですけど、怖いっていうだけで何も入ってこなくなるんです」その時に初めて「あ、俺って怖いんだ」と思って。

 

大山:これまでの友達や部活のコミュニケーションやマネジメントと会社でのそれらの違いを思い知らされるわけですね。

和田さん:同時期に他にもいろいろ起きたんです。信頼していい給料を渡してたつもりでいたメンバーがいきなり辞めたいですって言ってきたりとか。男道場のコンセプト替えに挑戦して、新しいコンセプトのお店を思いっきり外したりとか。

うまくいかないタイミングっていうのがその時にブワッときて、大将からもその時は「和田、大丈夫か」みたいに思われてたと思います。

 

大山:そうだったんですね。そんな時期があったんですね。

和田さん:そしてその女性店長の一言で「これって俺が変わらないとダメなんだな」って思ったんでそこから自分と向き合う日が続きました。

社員メンバーに会うときは必ず笑顔で、どんな時も不機嫌にはならず、どんな時も自分の感情をコントロールしてみんなと向き合おうっていうふうに決めて、明るい空気を作るってことを大切にして経営をしていきました。そうしたら1年間で売上が6000万円伸びたんです。

今入社しているほとんどの子たちは、僕が本当に怒ったりとか、声を荒らげてとか、不機嫌な態度とかって多分見たことないんですけど、まあそれよりも昔に入っているメンバーというのは、真逆・・・(苦笑)。

新しいリーダー像、自分しかできない居酒屋甲子園のカタチ、「てっぺん」のこれから

大山:それが10年くらい前のことですかね?新たなリーダー像を築いていくわけですね。

和田さん:そうです。7、8年前とかそれぐらいですかね。そこが本当に自分の人生の大きな分岐点。しっかりと自分自身をコントロールできるようになって、そしたら本当に業績も上がってて離職率も減って、同じ方向に向かっていける仲間たちと出会えるようにもなってっていう感じで進んできました。

 

大山:なるほど。大嶋大将に会ったのは、どんなきっかけで第一印象ってどんな感じだったのですか?

和田さん:「てっぺん」に出会ったのが先で、大嶋大将が「てっぺん」の社長だっていうのは当初知らなかったんです。入社して2ヶ月後ぐらいに、大嶋大将の講演に同行してこいって言われて。どういう人かも分からず、花巻東高校で講演するって言って、当時菊池雄星さんが3年生の時ですね。

花巻東高校近くの駅で待ってたら、キャリーバッグを持ってニッコニコして歩いてくる素敵なイケオジの方がいて。一言目「おお、お前が和田裕直なのか!」って言われたんです。俺、会ったこともないし、働いたこともないその一般社員にフルネームで呼んでくれる人ってすげえなって思って。

 

大山:確かにね、職人の世界とかだったら「おい!」とかそんな感じでしょうしね(笑)。

和田さん:はい、名前呼んでくれないです(笑)。おいおいとかって当たり前(笑)。大将に会う前はめっちゃ怖い人だと思ってたんですよ。でも、会った瞬間一言で人を元気にできるような人だった。そこからこの人本当にすごい人なんだって。菊池雄星さんたちが慕ってるっていうのもそうだし、どんどん大将を尊敬して惹かれていきました。

 

大山:大嶋大将や居酒屋甲子園を知らないで、「てっぺん」に入るっていうのがまた面白いですね(笑)。和田さんが社長になった時で、何店舗ぐらいでしたか?

和田さん:その時は、直営は5店舗ありましたね。三重県に2店舗と東京3店舗と、あとはタイに出店したのがこれぐらいのタイミングで、僕も一回タイに行ってやらせてもらったりとか。いろいろ重なった時期ですね。

 

大山:そこで経営を任されて、直営の売り上げを上げていくのもそうなんですけど、いろんなスクラップアンドビルドもされたんですよね?どのようなことをされたのですか?

和田さん:一番最初に、キャッシュが本当1000万しかなくて。例えば銀行から何に引き落としがかかってるのかっていうのを分かってなくて一つ一つ精査したら、とんでもない契約を交わしてた複合機があったり、またはいない人の保険に入ってたり(苦笑)。だから出血を止めながら、売上を上げるっていうような。店舗を切り離したりもしました。

 

大山:それで直近のところですが、コロナ禍もいろいろ大変だったとお聞きしていますが、会社としてどんな感じだったんですか?

和田さん:コロナ中は居酒屋甲子園の専務理事を仰せつかっていうのもあって、国に対しては言うことを聞くって言ったらあれですけど、正しくそこは守ろうという判断をしました。やっぱりそこに対しては社員も、他社はアルコールの提供も含めてやってるのになぜうちはやらないんですか、やりたいですっていうメンバーもいて、店長と毎月のように喧嘩したこともあります。その時期、不満を持って辞めてったメンバーもいます。でも、うちはあえて何もしないをあえてするって決めて。

 

大山:難しい経営判断ですよね。

和田さん:当時は流行っていた唐揚げ屋さんも出さないし、サンドイッチとか、テイクアウトに振ってった企業さんもいたと思うんですけど、ずっとその時(コロナ禍が明けるの)を待つというか。でも自分自身の中でもこのままじゃダメだと思ってましたし、かといって何をやるべきなのかな、みたいな。その時に、氏田前理事長にサウナ(事業)の話を聞いたんですよ。

 

大山:なるほど、そういうことだったんですね。

和田さん:うちは飲食以外にも、今サウナや水産だったりとか研修とかやってるんですけど、分かりやすく言えばサウナって、心の状態をマイナスからゼロに戻すじゃないですか。男道場、女道場ってどちらかというと来ていただいて、楽しい雰囲気になる。これって心の状態がゼロからプラスに振る業態だと思うんですけど、このサウナ事業というのは「てっぺん」がやるべき意味のある仕事だなっていうことで。だからサウナブームが来る前に着手しました。それで「これをやるぞ」って決まってからのエネルギーがやっぱり強かったです。

 

大山:驚きましたよ、(サウナを)やるって聞いた時は。誰も手つけなかったようなデカ物件で。総工費がどれくらいでしたっけ?

和田さん:総工費、保証金まで入れたら2億ぐらいいってますかね(笑)。

 

大山:でもなんかめちゃくちゃ立ち上がりも良くて、話題になったのも早かったというイメージはあったんですけど、成功の要因というのは何だったんでしょう?

和田さん:飲食のノウハウ入れたからだと僕は思ってます。一般的なサウナ施設って、カウンターで鍵をもらって、あとはもうご自分でどうぞみたいな感じじゃないですか。サウナマットを交換するのに1回外に出されたり。でも僕ら飲食店で働いてると、自ら何ができるのかっていうのを常に考えて行動する職業だと思うんで、ぼーっと突っ立ってるぐらいだったらタオルを巻こうよとか、他は1時間に1回しか(熱波を)扇ぎに行かないけどそれは3回できるよねとか、ウェルカムカードを書くとか。自動販売機でドリンク買うとちょっとメッセージ書いてあったり、そんな些細な事なんですけど、私たち飲食店が日々磨き続けているこのおもてなしっていう姿勢は、すごくどんな職業にも通用すると思ってます。

 

大山:QSCのC(クレンリネス)の部分も徹底している印象ありますよね。あと動線。めちゃくちゃお金かけて豪華に作ったわけではないかもしれないけれど、お客様目線で工夫されていて見事だなと思いました。

和田さん:僕、上田の温泉地出身だったんで昔なんて本当に100円握りしめて行けば入れる温泉なんてたくさんあったんで、まあそういったものも踏まえて渋谷にそういうものを作りたいなっていう想いもあって。

 

大山:ただあまりサウナが儲かるからといって、そこで展開はしないという話はしてましたけど?

和田さん:日本一の店舗をまずは作って、日本一だって胸張って言える状態だったら次行ってもいいんじゃないかと思ってるんですけど、まだまだ未完成だと思うんで。

 

大山:そうは言ったって、口コミがめっちゃいいわけですけれど(笑)。

和田:多分坪売りだったら日本で一番売ってます、かね(笑)。すごいありがたいことになってます。

 

大山:そして今年、居酒屋甲子園が20周年になって和田さんが9代目の理事長ということなんですけど、この節目に理事長になると決めた想いというのはどんな感じだったのですか?

和田さん:20年経って時代が大き変わって、居酒屋甲子園が変えてきていないものと、前回の総括で氏田さんがおっしゃってた通り、理念と目的なんです。「共に学び、共に成長し、共に勝つ」という理念と「居酒屋から日本を、世界を元気にする」という目的は20年間変えてこなかった。だけど、全国大会までのやり方に対しては、もう時代に合ってないなと思うことが何個かあったわけです。

 

大山:具体的には、どんな点ですか?

和田さん:例えばエントリー店舗も、居酒屋だったら目の前にいらっしゃるお客さんに感動してもらったら、ちょっとずつリピーターって増えてくるじゃないですか。じゃあ居酒屋甲子園はどうなのかというと、本当に社会的に素晴らしいことをやってるし、貢献度も高い大会なのに、なんで毎年エントリー店舗が増えてこない?毎回毎回エントリーが始まると、お声掛けさせていただいて地区大会に集客したり・・とか、なんでなんだろうと思って。

そこにはやり方に対しての改善が必要だなと。地区大会のプレゼンも「これって残業代付くんですか?」とか、練習するのもアルバイトの時給付けたりとか。今は昔よりも、それこそPCに強いメンバーも増えてきたんですけど、まだまだ別にパソコンを触る仕事ではない。そういったところが支障になる業界でもある。

 

大山:なるほど。これまで内側でずっと見てきたからこそ課題に思う部分もあるというわけですね。

和田さん:その中でも19年間、全国大会を磨き上げてきた初先輩方には本当に感謝してるんですけど、このまま次の20年、これで貫き通せるかって言ったら、僕は違うと思うんです。そこを変えるべき人物は誰だって言ったら、正直僕しか変えられないって言ったらおこがましい話しなんですけど、それは別に能力とかじゃなくて、タイミングと機会と役割的にって感じですかね。

大嶋から始まって、和田がある程度今までのやり方をぶっ壊して、居酒屋甲子園潰れちゃったとしても。そういったことができるのって、正直僕の役割でしかないのかなってそう思って、氏田さんの次は僕にやらせてくださいって言いました。

 

大山:素晴らしいですね。今取り組んでいる、変えていってることっていうのは具体的に何ですか?

和田:組閣はそうですけどね。ITに強いメンバーを入れたりと。ただ今年大きく変えたことってほとんどないんですよ。本当は居酒屋甲子園の理事長になる前に、1年間本大会をジャンプしようかと思っていたんです。何かを変革するためには、準備期間って絶対必要なので、僕が居酒屋甲子園の理事長になって、1年間全国大会やらないって言ってたんです。

でも、1回も全国大会をやったことがない理事長が、何を変えて、何がうまくいってないのかと、経験もしてないのに変えることも僕は違うなっていうので、今年は覚悟を持って開催する大会なんです。来年は1年ジャンプするので、大きく変革があるかなと思います。

 

大山:今回、本大会が11月11日に横浜であると思うんですけど、まだ居酒屋甲子園に来たことない人に、来年はエントリーしてみたいと言った人たちにメッセージ、賭ける想いをお聞かせください。

和田:今年、居酒屋甲子園は「夢」というテーマを掲げて1年間突っ走ってきました。なぜ夢にしたかというと想いがあって。

コロナが明けて良くも悪くもやっぱりSNSの発達がすごいなと。いろんな情報が手にできる時代になった。そのSNSを今までの繁盛店の作り方の上に乗せて進化させることで、初月黒字オープンが当たり前のようになったり。オープン前にブランドを作って行きたいという衝動を作ることが、空中戦でできるようになった。

その反面、隣の芝が青く見えるといったような、やはり自分の軸がないと、不必要な情報まで入ってくる時代になった。特に、経営者の皆さんは労働環境の変化や物価の高騰、賃金も上がる。何だったら、家賃交渉がきたり。休みを増やしてあげたい、給料を上げてあげたい、結婚してからも働けるような会社の体質にしてあげたい。みんな、苦しんでる。働いてる方も、経営者も。今だからこそ一丸となるべきなのに乖離があるような、状況になっちゃってる。

でも、それってお互い何を求めてるのか。本来感謝し合うべき環境が「あれも欲しい」「これも欲しい」「こうしてください」「ああしてください」みたいな空気を、すごく僕は感じたんですね。

この業界を何で選んだのか、何であなたは起業したのか?それってそこに僕はいてもたってもいられないぐらい、ワクワクしてこの業界の未来に自分自身の未来を重ねて、夢や希望やワクワクヤドキドキがあったあの時の心を、今改めて取り戻すべきなんじゃないかな、っていうことで「夢」というテーマをつけたです。

 

大山:「夢」の再定義ですね。

全国大会出場 5店鋪

和田さん:とにかく、上記店舗を見ていただいた時に私たちが携わっているこの飲食業っていうのが、いかに、素晴らしく誇りに思える職業なのか気づいていただけるんじゃないかなって思います。だから、社長さんがアルバイトさんや社員さんを連れてきて見ていただけたらその方々の心に火が灯ったり、そんなきっかけになるんじゃないかと信じていいます。自分の職業って素晴らしいなと思ってもらえるだろうし、社長さんであれば「あぁやっぱり飲食っていいな」と思ってもらえるんではないかと思っています。

大山:居酒屋甲子園そのものが仲間たちの集まりですから、そういう仲間たちが存在するわけですからね。経営に悩んでいる社長さんや将来を迷っている方など、是非全国大会に足を運んでほしいですね。

最後に会社の「てっぺん」としてのこれからというのをお聞きしたいです。

和田:実は今、新潟出店考えてます。新潟出身のメンバーがいよいよ店長以上の幹部クラスに上がってきたんで。しかもあの新潟駅からほど近い万代とか並木通りっていうよりは、もうちょっと奥の古町だったり、本町って呼ばれてるそこら辺を狙ってて。直営独立っていうような形で。

 

大山:それはすごい。看板そのまま「てっぺん」でいくってことですね。

和田さん:「てっぺん」でいきます。直営の「てっぺん」で、改めて地域に行きたいなっていうのと、あと渋谷でももう1店舗出したいなと思って物件も探しています。水産をやってるんで、しっかりとしたものが手頃な値段で買えるようになったので。魚ってやっぱりすごいんですよね。日本人は特にそうなんですけど、江戸の中期まで250年か300年ぐらい肉を食わなかった時代があるんですよ。でも魚はずっと食べてたし、魚で栄養バランスをとってた。でも今、異常な気候変動によって獲れる魚が獲れなかったり。毎年魚種が変わっていく中で、今の日本人の食生活を魚を通して支えていきたいなっていうものがあるんで、水産にも挑戦していて、しっかりといいものを食べてもらうようなお店を作ります。

 

大山:素晴らしいです。何年何店鋪とか年商いくらというところでなく、居酒屋通じて何ができるか、そういう挑戦になっていくってことですよね。そして、本大会に行けば和田理事長と握手ができる、ということで(笑)。

和田さん:はい、ぜひぜひ皆さんに来ていただきたいと思います!

大山:本大会、私も応援に行きます。ありがとうございました!

 

編集後記

日本一の居酒屋という大きすぎる看板を背負って20代後半にてっぺんの代表になった和田さん。20年以上経った今もお店は活気に満ち溢れています。それはとんでもなくすごいことだと思わざるを得ません。いろいろあった・・・和田さんの苦悩をお聞きし今回深くお話しができ、より同社、そして居酒屋甲子園を応援する気持ちが強くなりました。私も11月11日全国大会へ行きます!ぜひ、“居酒屋から日本を、世界を元気にする”という熱き想いを現地で体感しましょう!(聞き手:大山 正)

 

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