「治郎丸」1号店は、月坪400万円!
――「立喰い焼肉 治郎丸」の爆発的ヒットは、一躍御社の存在を飲食業界全体に知らしめました。東京・新宿の第1号店は、今でも延々行列ができていますね。
江波戸 施工を担当した建設会社の人は、こんな店はきっと売れないだろうと思って壁を薄く作っておいてくれたらしいんですけどね(笑)。
新宿店は、月商800万くらいを想定してオープンしたのですが、今年5月には1630万をマークしました。ただそれはちょっと売れすぎで、平均すると月商1500万くらいで安定しそうです。
――坪月商400万超えとはすごいですね!今後は何店舗の出店を予定されていますか?
江波戸 今、野毛と大井町にFCで2店舗あり、今後、直近では荻窪、大森に直営で、秋葉原にFCで出店する予定があります。年内はあと7店舗くらい出そうかと思っています。この先数年で、都内の主要駅を中心に関東圏だけで20店舗ほどに拡大し、そこで様子を見てから先のマーケットを作っていこうかなという感じです。
――なるほど。ところで、御社の抱える店舗数や業態を調べていて気がついたのですが、御社はHPをお持ちでないですよね?それは何故でしょうか?
江波戸 敢えて作っていないんですよ。「治郎丸」の成功には、食べログやツイッターなどSNSによる周知が大きく貢献してくれましたが、それと同時にメディアってすごく怖いものでもあります。マックの事例を見ても明白なように、今、その影響で一気にブランドが潰れてしまったりもする。
でも攻撃する対象の詳細や規模感が朦朧としていると、人ってそこを責めようがないんですよね。そうした防御の意味で、うちは会社の概要をわざわざ露出しないようにしています。そのあたりの対策はこれから絶対に必要だと思いますね。
――やはり意図的なものなのですね。HPを作っていらっしゃらないということは、社内の構造はどうなっているのでしょう。広報などは存在しないということですか?
江波戸 はい、必要性を感じないので作っていないです。今うちに社員は45名ほどいますが、僕と経理の中年女性以外は全て店長や現場の人間です。いたずらに部署を増やしても、人間が本気を出さず遊んでしまうだけなので。
ついでにいうと、僕は打ち合わせの時以外は事務所に来ないので、自分の席はありません。あと、現場にも基本行きたくないので各店を視察することも全然ありませんね。
店長の給与は「利益の30%」
――そうなんですか!?では例えば店長会議などは…
江波戸 ありません。会議やミーティングはやりませんし、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)も禁止です。基本は店の立ち上げから人事採用まで、各店の店長が一国一城の主となって全て自分一人で責任を負うシステムです。
僕の仕事は新業態の開発と、物件を探すこと、工事関係の采配のみ。何も接点がないので、7年間顔を見ていない店長もいますよ。ツチノコって呼ばれてますが(笑)。
――すごいですね…。そうなると、売上や予算の管理はどうされているのですか。
江波戸 うちは、予算やノルマは一切ありません。店長の給料は利益の30%と決めてあり、各店の売上に対し減価償却費や保険料など、現場が使わない部分を排除したいわば店長用のPLが存在します。それが一日ごとにコストと連動して計算され、日報として上がってくるので、店長は毎日自分の給料が増えていくのを確認できるんです。
日報は全店で共有しているので、どの店がどれくらい売っているか一目瞭然ですし、逆に利益が取れていないとちょっと恥ずかしい(笑)。各店でそれぞれベンチマークの店を作って「あそこには負けないぞ」と競い合ってるみたいですね。
FLも店によって違い、人を使うのがうまい店長とか、コスト管理に長けた店長とか、原価をかけたほうが売る店長とかいろいろです。みんな各自で、人件費や材料費を目標金額の0.1%以内に収めた表を出してきますよ。今、一番利益を出してる店長で、給料は月110万くらいだと思います。
――経営者レベルの金額ですね!現状は、それで赤字の店舗はないのですか?
江波戸 今のところ全38店で黒字をキープしています。利益が下がると店長の取り分が下がるだけなので、店としては赤字になりにくいんですよ(笑)。
2005年の設立以来、2年くらいかけてこのシステムをブラッシュアップしまして、一応3ヶ月連続赤字だったら店長交代という決まりも作っているんですが、交代者はこれまでまだ一人も出ていないですね。一時期、実験的に固定給制を導入してみた店舗もあるのですが、全然だめでした。
――固定給は制度として不完全だと。
江波戸 百害あって一利なしですね。固定給になった瞬間、働く人間の本気度が一歩後退します。うちは、細かい行動指針やミッションは説かず、ギリギリでもいいからとにかくこの飲食業界で生き残ることしか要求してないので。必要なのは戦える奴だけ。だからうちの店長達はかなり強者揃いですよ。しいて言えば社訓は「生き残れ」ということです。
――なるほど。そのシビアさや孤独さは、どこかスポーツ選手にも通じるものがありますね。江波戸さんは大学の野球部からピッチャーとして川崎製鉄の実業団に入られていたとのことですが、そもそもどうして飲食の世界に入られたのですか?
江波戸 試合で結果を出せず3、4年で実業団をクビになって、その後社内でガードレールの営業をやっていたんです。営業といっても建材屋さんなどにお茶を飲みにいくだけのほぼルート営業。すぐに「サラリーマンは自分には合わない」と感じました。
ずっと野球だけをやってきたので、そこを退いたからには、経営の世界でもうひと勝負したいと考えるようになっていた時、ある建設会社の社長さんと昵懇になって「飲食でもやろうか」という話になり、じゃあ、と会社を辞めたのが飲食の世界に入る最初のきっかけです。初めは融資のこともあるので、2003年にその会社の飲食部門という形でスタートしました。
その頃ちょっと時間があったので経営学の本を300冊以上読み漁りました。
中でもピーター・ドラッカーは何度も読み返しましたね。今でも飲食分野における経営戦略は、全てドラッカーを元に組み立てています。
商売の師匠はドラッカーと石井誠二氏
――最初に手がけられたのはどんな業態だったのですか?
江波戸 セルフの讃岐うどん店です。大学の時のブルペンキャッチャーが四国の「山田うどん」の御曹司だったので、彼の親父さんに頼んで讃岐うどんの作り方をゼロから教わりました。ラッキーでしたね。その店は虎ノ門などに5店舗ほど展開しまして、自分でいうのもなんですがかなり美味しかったと思います。
その後、本業が不信になって会社自体が潰れてしまったので、慌てて飲食部門を買い取ったのが今の越後屋の始まりです。
――そして2005年に「炭火焼干物食堂 越後屋」をオープンなさるのですね。なぜ干物に着想なさったのですか。
江波戸 1号店は、新橋にある「炭火焼干物食堂 越後屋」なのですが、当初は定食屋をイメージした店舗でした。が、店長が居酒屋好きな人間だったので二毛作でやることになり、その頃たまたま知り合った八百八町の石井誠二(「つぼ八」創業者)さんに、「居酒屋教えてください」と頼んだんです。快諾していただきました。そこから3~4年くらい、石井さんに居酒屋や商売を教わりました。当時石井さんが住宅街に「ひもの屋」をオープンした頃で、「ひもの屋のビジネス街バージョンをやらせてください」といって出来上がったのが今の「越後屋」です。
アルコール需要がこの先だんだん減っていくことは当時からもう目に見えていました。かといって、お客は全く飲みたくないわけじゃない。定食を食べながらちょっと軽く一杯飲んで帰るというマーケットがこれからはどんどん伸びてくるはずと思って作った業態です。
コンセプトは“江戸時代の食堂”。外食って、本来家で食べられないものにニーズがあるわけですよね。丁寧に出汁を引くところから作った味噌汁とか、炭火でじっくり焼いた干物って、実はもう家庭ではほとんど食べられない。イメージに反して、干物は今の時代、外食のメインの位置づけにある食材なんです。
――高級食材というイメージと、大衆居酒屋的なそれと、両極端な要素を内包していた干物という食材を、うまく中間のポジションに落とし込むことに成功していますね。各店の売上はどのくらいですか?
江波戸 一番売っているのは東銀座で、25坪で1600万くらいですかね。田町は50坪で1000万。うちは売上よりも利益追求型なので、単純に坪月商では語れないところもあるのですが、平均して坪月商30~60万くらいですね。
ビジネス街では「越後屋」の勝率は95%以上、ほぼ100%です。13坪以上の規模になるとかなり収益性も上がってきます。
――「越後屋 吉之助」や「越後屋 八十吉」など、店名がそれぞれ違うのは何か理由があるのですか?
江波戸 あれは家系ラーメンと同じ戦略です。家系ラーメンが一番優れていると思うのが、ブランドとしての強みと、個店のいい部分がうまく組み合わさっているという所。
例えば“しょうゆとんこつ”のようなブランドとしての統一感はありながら、「あそこの家系はおいしい」とか「あそこはよくない」みたいに、家系って各店で個性が様々ですよね。「越後屋」も、店ごとにビールや魚の業者、味、価格はみんな違います。この手法があまりバレないためにもうちはHPを作っていないんですよ。
――つまり、個店とチェーン店のいいとこ取りのスタイルを採っているんですね。
江波戸 個店は人が活かせるし、スタッフが成長すると共に、末永く地域に密着する街の文化に育っていくことができる。その一方で、経営に対する戦略的な視点とか、規模によるバイイングパワー、ちょっとしたキャッシュフローへの対応力は大手チェーンの方が優れています。この両者の強みをうまく組み合わせている外食企業って、これまであまりなかったように思えるんです。
独立を希望する人間は概して実力があるので、社内にのれん分けが増えると、組織のポテンシャルは低くなっていくわけです。だから社内に“のれん分けのようなチェーン店”をつくればいいのにと思うんですよね。うちの店長の給料が利益の30%と決められているのも、彼らが「独立するんだったらここで店長やってるほうがいいや」と思える立場や状況をセッティングすることが会社にとって重要だと考えるからです。
――確かにそうですね。御社のもう一つの代表的なブランド「蕎麦 冷麦 嵯峨谷」でも、同じような手法を取り入れていくのですか?
江波戸 あれは全く違い、試しにチェーン店寄りのやり方をしてみようと思って作った業態です。2010年に、西新橋の激戦区でまずプロトタイプを作りました。そのあと浜松町に出して、大体のことが見えたので渋谷に出店したという形です。渋谷店は24時間営業で、12坪・約1000万を売り上げています。
石臼挽きで、押し出し式製麺機で作る十割そばということもあり、今にして思えば素人ですが、最初はもりそばを330円で出していたんですよ。でも、そばの美味しさって、実は肉のようにはわかりやすくない。食べる側にとっては、立ち食いそばという業態での価値判断が中途半端になってしまうことがわかり、他社と揃えた280円という価格に置き直して勝負しました。いい勉強になりましたね。