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特集

「一風堂」の力の源ホールディングスが「2025年国内300店舗、海外300店舗展開へ」――清宮俊之社長が語る経営構想!


清宮俊之の略歴と東証マザーズ上場

力の源ホールディングス(ちからのもとHD。本社福岡市)社長の清宮俊之(きよみや としゆき)は1974年生まれ。横浜市出身。43歳。日大農獣医学部(現・生物資源科学部)卒業。TSUTAYAを運営するCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)に入社。15年ほど勤務し、「40歳になる前に自分の力を試したい」と、知人の紹介で博多豚骨ラーメン「一風堂」(運営・力の源カンパニー)のカリスマ創業者・河原成美(64)と面談した。その際、河原の経営者としてのスケールの大きさに感銘を受け、「一風堂」への転職を決めた。
清宮は2011年11月、力の源カンパニー(現、力の源HD)に入社、店舗研修を経て2012年4月、社長室長兼人事・教育グループグループリーダー兼営業本部副本部長に就任、子会社の農業生産法人「くしふるの大地」(大分県竹田市)の研修センターで全社員研修などを担当した。12年11月取締役COOに就任、事実上のナンバー2として同社の持ち株会社体制への移行を進めた。2014年1月、力の源グループは持ち株会社「力の源HD」の傘下に「力の源カンパニー」「渡辺製麺」「力の源グローバルホールディングス」、「力の源パートナーズ」(コンサルティングとフランチャィズ事業の展開)の事業会社4社をぶら下げる体制に切り換えた。
この際、創業者の河原は力の源HDの会長兼CEO(最高経営責任者)に就き、社長兼COO(最高執行責任者)に清宮を抜擢した。河原はアイデアマンで職人肌のところがあり、商品開発や新業態開発などは得意としていたが、会社全体の組織化には課題があった。一方の清宮は外食は素人だったがCCCで人事も経験しており、経営実務に明るく、人材育成や組織化の経験も豊富であった。河原は自分が課題に思う部分に力を持つ清宮を高く評価、コンビを組むことで経営のスピードアップを図ることにした。
追い風となったのは持ち株体制をスタートしたタイミングで、経済産業省がクール・ジャパン戦略事業の一環として「パリ・ラーメンウィーク ZUZUTTO」(2014年1月20日~25日)を開催したことだ。この催しの企画・立案、及びコンサルティングを請け負ったのが力の源カンパニーの河原であった。河原は「ZUZUTTO」(ズズッと)というキーワードを採り入れた。「ZUZUTTO」は「音をたてて麵をススル」という、日本人の食文化に根差した言葉だ。食事中にススって音をたてることはフランス人など欧米人にはマナー違反だが、河原はあえて「ZUZUTTO」という日本の食文化を伝えるべきだと考えたのだ。河原はラーメン6店舗、串焼き、寿司など3店舗計9店舗を厳選した。会場になったパリのレストランマセオはパリッ子で連日長蛇の列ができ、ラーメンウィークは大成功した。
これがきっかけで2014年12月、日本文化を海外に売り込み、日本企業の海外展開などを支援する官民ファンドのクールジャパン機構(海外需要開拓支援機構)は、「一風堂」を運営する力の源HDへ合計20億円の投融資を決めた。内訳は第三者割当増資で約7億円を出資、最大13億円の融資枠を設定した。これはクールジャパン機構が信用保証したようなもので、力の源HDの対外的な信用力は飛躍的に高まった。ちなみに外食企業からの選出は「一風堂」が初めてのことであった。
このような後押しを受けて力の源HDは今年3月21日、東証マザーズに上場した。公開価格は600円だったが買いが殺到、初値が2230円で決まったのは上場2日目のことだった。上場直後に東証で開かれた記者会見で清宮は、「北米と東南アジアを中心に海外での出店を加速し、2025年に国内300店舗、海外300店舗を目指したい」と発言した。
その後清宮は「東洋経済オンライン」のインタビューで、「国内300店舗の内訳は『一風堂』を約150店舗とし、後の150店舗はテイクアウト、中食も視野に入れた新ブランドや新業態を展開する」と述べた。例えばフードコート専用ブランドの「RAMEN EXPRESS」(17店舗)をはじめ、ラーメンダイニングの「五行」、アメリカンチャイニーズ(国内JV展開)の「パンダエクスプレス」、ちょい飲みスタイルの「一風堂スタンド」、博多うどん居酒屋の「イチカバチカ」などを展開すると見られる。
河原-清宮には国内のラーメン業界の将来に対する危機感が非常に強い。少子高齢化、人口減少社会で需要は右肩下がりなのにラーメン店は全国に3万5000店もあり、サバイバル戦争は激化するばかりだ。一方では消費者の趣味・嗜好は移り気で多様化しており、「一風堂」のような有名ブランドでも一業態で200店、300店と展開するのはリスクが高い。清宮は前出の「東洋経済オンライン」のインタビューで大まかに、こう述べた。
「わが社は博多豚骨ラーメン『一風堂』の展開を中心に東証マザーズに上場するまで成長してきたが、今後は『一風堂=豚骨』だけではなく、他の可能性も探っていきたい。今後生き残るためには変化を恐れずに、『攻めまくる』つもりです」
ちなみに力の源HDの2017年3月期は、店舗数はライセンス契約形態を含み合計198店舗(国内133店舗、海外65店舗)だった。そして連結売上高は224億円(前年同期比7・5%増)、経常利益約5億4千万円だった。東証マザーズの時価総額は約220億円。今後「一風堂」の国内外への展開を加速し、真のグローバル企業へ脱皮しようとしている。

ラーメン業界の創造的革命集団
「一風堂」の世界展開

筆者が力の源HD社長の清宮と初めて会ったのは昨年の7月のことだ。筆者が発起人の一人であるジェトロ(日本貿易振興機構)の「グローバル・サービス実践塾」で、「一風堂」の海外展開をテーマに講演してもらったからだ。その後清宮には昨年10月、「フードスタジアム」に連載している「新・外食ウォーズ」でインタビューした。そして清宮とは今年1月、「フードスタジアム」が主催したセミナー「外食業界の未来を考える」のパネルディスカッションで一緒に登壇した。さらに今年4月、日本フードビジネス国際化協会(JIFA)のセミナーで、清宮が「シンガポールにおける『一風堂』の戦略」について講演したのを聞いた。
本稿は上記の取材を通じ、「一風堂」の海外展開をインタビュー形式でまとめた。ただし清宮の単独インタビューでまとめるのは構成に無理があった。なぜなら「一風堂」の海外展開を率先して指揮してきたのは、創業会長の河原であるからだ。河原がなぜ海外展開に力を入れるようになったのか、少し振り返ってみよう。

「一風堂」創業者の河原成美は1952年福岡県生まれ。男4人兄弟の末っ子。高校を卒業して上京、俳優志望で前進座の養成所に入るが1年半で挫折。福岡県に帰り九州産業大学商学部に入学、劇団活動と飲食店でのアルバイトに明け暮れた。76年3月卒業、量販店勤務、コック見習いなどを経て、79年秋26歳の時、博多駅近くにパブ「アフター・ザ・レイン」(5坪10席)を開業した。家賃10万円。河原は「3年間は1日も休まない。飲食業は演劇だ。店は舞台だ」と考え、お客を喜ばせるために様々なパフォーマンスを披露した。店は若い女性やカップルなどで連日満員となり、年収1000万円を稼ぐようになった。だが、毎夜酔いどれの生活を3~4年も続けるうちに、「このままではまずい」と反省した。
そんな時、店に来る女性客たちが「豚骨ラーメンは豚骨が放つ強烈なにおいが臭くて、店は汚い、そのうえ店の主人は無愛想で怖くて、とても行く気がしない」などと話していた。この時河原にヒラメキがあった。「女性が1人でも入れるようなおしゃれで、臭いのしない豚骨ラーメン店を創れば間違いなく繁盛する」
これをきっかけに河原は客として「全国のラーメン店1000軒覗き」を始めた。一方、当時博多長浜の屋台のラーメン屋の店主に頼み、100万円払って1年間豚骨ラーメンづくりの修業をさせてもらった。このような修業期間を経て河原は「博多一風堂」の原点となるサッパリとした豚骨ラーメンを開発する。18時間の調理と丸1日の熟成を経て、豚骨の臭みを除去したマイルドな豚骨ラーメンである。これは豚骨ラーメンの革命であった。河原は1985年32歳の時、福岡市大名路地裏に約11坪カウンター10席の「博多一風堂」を開業した。「ラーメン界に新しい一陣の風を吹かせたい」という思いから「一風堂」とネーミングした。店構えは従来のラーメン店とは違いおしゃれな内装で、BGMにはジャズを流した。この「博多一風堂」が大ブレークし、博多のローカルの味だった「豚骨ラーメン」を国内外に知られたグローバルなラーメンに変えて行くのだ。
「一風堂」が関東に初進出するのは1994年3月のことだ。「全国各地のラーメンを飛行機に乗らずに食べに行ける」をコンセプトに、世界初のフードアミューズメントパーク「新横浜ラーメン博物館」(横浜市)がオープンした。「一風堂」(~2001年5月)は全国から選ばれた合計6社のラーメン店と出店した。ラーメン博物館は大繁盛し、博多豚骨ラーメン「一風堂」の知名度は上がった。
「一風堂」は翌年の1995年に東京1号店となる「一風堂 恵比寿店」を開店、原点の一杯「白丸元味」と革新の一杯「赤丸元味」を発売した。後に力の源HDに転職する清宮は、恵比寿店によく通ったという。
「一風堂」創業者の河原が脚光を浴びるのは、1997年1月に開催された「テレビ東京」の人気番組「TVチャンピオン・ラーメン職人選手権」で優勝したことによる。河原が凄いのはこのラーメン選手権で3連覇を達成し、殿堂入りを果たしたことだ。さらに河原は2005年にはTBSテレビ系史上最大の「ラーメン王決定戦」で優勝し、「初代麵王」に輝いた。河原はラーメン業界の寵児としてもてはやされ、「一風堂」は日本を代表する豚骨ラーメンのブランドになった。河原はこの時代にラーメン好きの訪日外国人と数多く触れ合った。そんななかで、「日本のラーメンは世界中の人たちに愛されるメニューだ」と確信、「一風堂」の海外展開を思い立った。
当時、ラーメン店の海外展開といえば熊本豚骨ラーメンの「味千ラーメン」(熊本市、重光産業)の独壇場だった。「味千ラーメン」は台湾出身の重光孝治(故人)が、豚骨ラーメンの元祖の久留米ラーメンに学び、1968年に熊本市で7坪8席のカウンターだけの店を開業したのが始まりだ。熊本を中心に九州、関西、関東方面に展開、90年代に入って香港の女性起業家・潘慰とライセンス契約を結び、1996年に香港に出店した。現地の需要に対応した店づくり、メニュー開発が当たり、その後中国本土に出店、2007年には香港の株式市場に上場した。「味千ラーメン」は華僑のFC加盟者を通じアジアから世界に広がった。ちなみに2016年7月現在、日本国内で83店舗、世界13ヵ国・地域で690店舗展開している。日本発で海外展開した外食企業で最も成功しているのは「味千ラーメン」だといえる。
「味千ラーメン」が海外で成功していたのは、同じ豚骨ラーメンの「一風堂」には大きな刺激であった。河原は2000年頃から海外展開に本格的に取り組んだ。海外展開の最大の目的は「RAMEN(ラーメン)を世界共通語にする」ことだった。
河原は次のような夢を抱いた。
「世界に通用するRAMENを提供して、世界標準を作りたい。『一風堂』をスターバックスのラーメン版にしたい」
河原は直営、現地企業とのジョイントベンチャー(JV、合弁企業)、ライセンス契約の3つで海外展開を推進した。アメリカ・ニューヨークへ進出する計画は2001年9月11日、同時多発テロが勃発、出店は先送りされた。そんななかで河原は2004年には中国・上海の現地企業とJVを設立、上海に海外1号店を開店した。ただし、「一風堂」ブランドではなく、他ブランドの出店であった。2006年末までに計8店舗を出店したが、河原は合弁を解消し、上海からいったん撤退した。河原の海外初進出は、失敗に終わった。
「博多豚骨ラーメン『一風堂』を世界のブランドにする」――河原が独資で米国ニューヨーク・マンハッタンのイーストビレッジに「IPPUDO NY」の第1号店を開店したのは2008年3月のことだ。「一風堂」としては初の海外進出である。店は入口にウェイティングバー、奥に丸テーブル、ボックス席、長テーブルなど全82席があり、オープンキッチンとした。和モダンの内装はラーメン店というよりは、高級居酒屋風のシャレた空間だ。
開店当時「赤丸かさね味」のニューヨーク版「Akamaru Modern」が1杯13ドル、「白丸元味」改め「Shiromaru Classic」が13ドルであった。ウェイティングバーでは日本のビールやアメリカ製のクラフトビールなども提供した。さらに日本酒や一品料理を充実させ、ラーメン&ダイニング業態であることを強く打ち出した。開店に先立ちニューヨークのメディア50社を招き、プレスレセプションを開いた。メディアの評価も高く、好意的に取り上げられたことも追い風で、「IPPUDO NY」はニューヨークのラーメンブームに火を点けた。「IPPUDO NY」は初年度で4億5000万円を売上げた。それから「IPPUDO NY」は毎年右肩上がりで売上高、利益を増やしていき、国内の1店舗の10倍以上稼ぎ出す旗艦店に成長していった。
河原の海外戦略は世界の情報発信都市に旗艦店を出店、初期フェーズでセントラルキッチン(CK)を核とする生産・物流体制を確立し、多店舗展開・サブブランド展開して経営効率化と収益の最大化を実現するところにある。河原は日本と同じように麺文化が定着しているアジア展開を重視し、2009年にはシンガポールに世界展開の拠点となる子会社を直営で設立した。そしてオーチャード通りのホテル「メリタス・マンダリン内」のショッピング&レストランゾーン「マンダリン・ギャラリー」に1号店、「IPPUDO SG」(約60坪70席)を出店した。ニューヨークと同じラーメンダイニング業態でオープンキッチン方式である。開店前にメディア関係者300人を招き、プレスレセプションを開催した。この「IPPUDO SG」も連日600~700名が来店、行列のできる繁盛店となった。河原は北部のウッドランドにスープ・製麺工場を竣工させ、2009年10月から稼働させた。そして2010年8月、UEスクエアに2号店を開店、多店舗化に踏み出した。以後、海外への出店履歴は以下のようである。
2011年、香港
2012年、台湾、中国、オーストラリア・シドニー
2013年、マレーシア・クアラルンプール
2014年、タイ・バンコク、フィリピン・マニラ、インドネシア・ジャカルタ、イギリス・ロンドン
2016年、フランス・パリ

そして、2017年3月末現在では12ヵ国・地域に65店舗展開している。内訳は次のようである。

アメリカ     4
シンガポール   8
香港       7
台湾       9
中国       15
オーストラリア  4
マレーシア    3
タイ       4
フィリピン    5
インドネシア   2
イギリス     2
フランス     2

以上が、力の源HDの海外展開の現況である。力の源HD社長の清宮は2011年11月に力の源カンパニー(当時)に入社、2014年1月に力の源HDの社長に就任した。清宮の最大のミッションは、「博多豚骨ラーメン『一風堂』をスターバックスのラーメン版にする」という河原の夢を実現するため、「一風堂」の国内・海外展開を加速し、2025年頃をメドに国内300店舗、海外300店舗の600店舗規模の会社に脱皮させることだ。

「グローバル・サービス実践塾」
で清宮の講演主旨

清宮は昨年7月、「一風堂」の海外展開について、「グローバル・サービス実践塾」(ジェトロ主催)で講演した時、こんな話をした。
「海外展開はリスクだらけ。進出している12ヵ国・地域(当時)で悩ましいことばかり起こっています。ネットで海外拠点と結びテレビ会議を実施していますが、事案の9割はトラブルです。ちなみに2015年度ではタイやインドネシアなどで5回テロがあり、その都度、店舗の社員・スタッフなどに連絡し、安否確認を取りました。海外進出している国々の政治情勢、ニュースなどに注意して対策をとる必要があります。最近では各国・地域の情報が集まって来て、出店のコンサルティングが出来るほどです。とにかく海外展開ではトラブルが起こるのが当たり前、少しくらいのことに驚いていられません。『何でも来い!』というタフな気持ちで取り組まないと、良い結果は出せないと思います」
筆者は「夕刊フジ」や隔月刊誌「サービス革新」(廃刊)などで、外食企業のトップに海外進出についてインタビューし連載してきた。それゆえ海外展開のリスクはある程度知っているつもりだったが、清宮が語るリスクには遠く及ばなかった。世界12ヵ国・地域に「一風堂」を海外展開していくのは、まさにリスクへの挑戦といえた。
力の源HDはアメリカを「海外展開の最重要国」としている。2013年7月にはニューヨーク「IPPUDO」の2号店となるウエストサイド店をオープンした。この際クラフトビールのブルックリン醸造所とコラボレーションし、業界初の試みとして「ラーメンに合う黒ビール」を開発、提供した。なお「IPPUDO」ウエストサイド店では今年7月、日本酒の喜多屋とコラボしてウェイティングバーを新業態の「Sake Bar Ippudo」にリニューアルオープンした。
この時期、力の源HDはフードコートに展開するファストフード(FF)のテイクアウト型ラーメンブランドの開発に取り組んでいた。アジア、中東などイスラムの国々への進出を睨んで、豚は一切使わない鶏100%の鶏白湯スープや麵を新しく作り出した。麵は博多豚骨の極細麵とは異なり、伸びにくいモチモチした中太麺を使った。調理時間は5分程度。紙カップに盛り付けて提供する。こうして完成したのが「黒帯 KURO-OBI」であった。
2015年3月、ニューヨーク・タイムズスクエアのフードコート・シティキッチンに「IPPUDO」の姉妹店「KURO-OBI」1号店がオープンした。「KURO-OBI」ラーメンが1杯13ドル。ラーメン4種のほかにたこ焼き、鶏の唐揚げなどサイドメニューを提供する。
清宮はこういう。
「『KURO-OBI』は『IPPUDO』の第2ブランドという位置づけです。フードコートに展開する小型店で、通常時は2~3人でオペレーションできます。『KURO-OBI』はムスリムの住むイスラム諸国へ展開する、世界の戦略的業態です」
力の源HDはニューヨークでファストフードのテイクアウト型ラーメンブランド「KURO-OBI」のテストマーケティングを実施、自信を深めた。そして2016年2月、ニューヨーク・マンハッタンのグランドセントラル(中央駅)近くのフードコートに「KURO-OBI」の2号店を開店した。これでニューヨークには「IPPUDO」2店舗、「KURO-OBI」2店舗、合計4店舗を展開することになった。
しかしながら力の源HDのアメリカでの店舗展開は予想外に遅れているのが実情だ。清宮はジェトロの講演で次のように話した。
「一昔前、日本レストランが海外に進出さえすれば成功する時期がありました。当社も2008年にニューヨークに『IPPUDO』を出店、毎年右肩上がりで売上高、利益を伸ばし続けています。ところが、アメリカではここ数年レストランに関する衛生や消防などの法律が劇的に厳しくなってきました。電気やガスをなかなか開通させることができず、オープンのスケジュールを大幅に後送りするようなケースも出てきました。また、米国は訴訟社会ですが当社も訴訟を仕掛けられ、かなりの額の和解金を支払わされた案件もありました」
ちなみに農林水産省の調べによると、海外の日本食レストランは2006年に2万4000店だったが、ユネスコが「和食」を無形文化財に選定した2013年には5万5000店に増え、2015年7月時点では8万9000店へと激増した。北米だけで見ると2013年に1万7000店だったのが2015年7月時点で2万5100店へと1・5倍も増えた。世界は寿司、天ぷら、ラーメン、焼鳥など空前の日本食ブームに沸き、なお、日本食レストランは増え続けている。この傾向はアジア、アメリカで顕著だ。
ただし日本食レストランの経営者の7割以上は現地人、韓国人、中国人、台湾人などだといわれる。日本食ブームに悪乗りした「なんちゃって日本食レストラン」で、日本食のブランドを傷つけているといわれる。訪日外国人が日本で本物の日本食を味わうことが増え、「なんちゃって日本食レストラン」の淘汰が進んでいるといわれる。
さて、清宮はアメリカで訴訟を仕掛けられた苦い経験などから、「独資で全米に店舗展開するのは無理がある」と判断し、現地のレストランビジネスに精通した会社とコラボレーションすることにした。2015年8月、米国最大の中華料理チェーン「PANDA EXPRESS」(パンダエクスプレス。ファストフード業態。米国中心に世界に約2000店舗出店)を展開するパンダ・レストラン・グループ(カリフォルニア州)と合弁会社を設立した。力の源HDが51%のマジョリティーを握った。
ちなみに「PANDA EXPRESS」は日本に進出したが撤退した過去がある。アメリカでの合弁会社設立を機に、力の源HDと日本でも合弁会社設立し2016年11月、ラゾーナ川崎プラザ内のフードコートに再上陸の1号店を開業した。
清宮はこういう。
「パンダグループが本社を置くカリフォルニア州はアメリカ西海岸に位置し、世界最大のマーケットです。当社ではパンダグループの支援で、まずサンフランシスコに出店、次にロサンゼルスへの出店を狙っています。しかしながらパンダレストラングループの力を借りても、出店は遅れに遅れているのが実情です」
この原稿に手を入れていた今年7月28日、パンダレストラングループとの合弁が実り、力の源HDはサンフランシスコのバークレイに1号旗艦店となる「IPPUDO」を開店した。これを機に米国西海岸の展開が本格化することになるだろう。ちなみに最大の激戦区ロサンゼルスにあるラーメン店ではアメリカ製のクラフトビール1杯2000円、サントリーの「ザ・プレミアム・モルツ」の生ビールが1杯1600円、ラーメン1杯15ドル(日本円で約1600~1700円)、チップなども入れると客単価はラクに4000円を超すという。清宮はアメリカ西海岸での成否が「IPPUDO」の全米展開のカギを握ると見ている。

→<後編>清宮に直撃インタビュー

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