特別講演
「農産物加工品で農と食を活性化しよう!」
株式会社 キースタッフ代表取締役 鳥巣研二氏
早稲田大学商学部卒業後、味の素(株)に入社。スープやドレッシング、家庭用調味料商品の商品企画・開発に従事。1998年(有)キースタッフを設立、2001年株式会社に組織変更。全国の農林漁業者や小規模商工業者向けに加工食品の開発支援や一次加工ビジネスのしくみづくり支援を行うほか、地域に食産業をおこし雇用を創出する「6次産業化」支援にも力を入れている。著書に「農産加工食品の繁盛指南」(創森社)などがある
佐藤こうぞう 今回は特別講演講師として、キースタッフの鳥巣研二先生においでいただきました。先生はかつて「味の素」に15年間いらして、そのうち13年は外食担当として大手チェーンに向けて調味料を販売していた方です。現在では、日本の農の活性化を目指し、農産物を利用した加工食品ノウハウを提供するビジネスをなさっています。
これまでは流通がターゲットだったわけですが、今後は再び外食の分野とも接点を持っていただいて、ぜひ意識の高い飲食店オーナーに加工食品というジャンルにおいてご指導いただいきたいと思っています。
カンのいい経営者ならお分かりかと思いますが、まだ1、2店舗の状態では必要ないけれども、その先10店舗20店舗と多店舗展開をしていくなかで、将来的には絶対先生のような方が必要になっていくだろうと思います。それではよろしくお願い致します。
鳥巣研二氏 皆さんこんにちは。キースタッフの鳥巣と申します。どうぞ宜しくお願い致します。
私は、約15年のサラリーマン生活を経て38歳の時会社を辞め、それから現在までずっと農家の方と人生を共にしてきました。今日は、こうぞうさんがどうしても外食関係者の方のために話をしてくれというので、だいぶ浦島太郎になっていると思いますが、お話をさせていただきます。
加工食品とは何か
まず初めに、我々の会社は農産物などを販売している会社ではなく、加工食品の開発支援をやっているコンサルタント会社です。
今日はシェフ、あるいは外食のオーナーが多くいらしてますが、料理と加工食品、どちらが美味しいかといえば、当然手作りの作り立ての料理の方が美味しいです。加工食品というのは、手作りの作り立ての料理には勝てません。でもその料理を、3ヵ月、あるいは半年間日持ちさせろということになると、別の技術が必要になってくるわけです。
加工食品というのは、加圧や加熱など、何らかの負荷をかけないと実現しないものです。例えば「ボンカレー」などのレトルト食品もそうですね。なぜホワイトシチューのレトルト食品が出てこないかというと、これは冷凍殺菌する工程でルーが焼けてしまって、白色がごげ茶色になってしまうからなんです。しかし、保存性や利便性を目的とした際には、こうした何らかの負荷はかかるけれども、この加工技術が必要になってきます。それでうちの会社は、この加工ノウハウを、農家に提供しているわけです。
どうして農家さんに加工技術を教えているかというと、今、国が6次産業化に力を入れています。そのためには従来のような漬物や味噌を作る技術だけでは不十分なんですね。これからの6次産業を成功させるためには、スーパーやレストランに並んでいるような加工食品の作り方を知らなくてはいけないということなんです。
20年もこうした仕事をやっていますと、農家経営者や農業生産法人と人脈・パイプができます。そんなこともあり、現在では様々な大手食品メーカーやコンビニチェーンが、「農家の素材を使った加工食品を作りたいんだけど何かいいものはないか」と相談してきます。
でも、はっきりいってそれはここ1,2年の話で、私が独立してから18年間は、「そんなことをやっているなんてお前はバカじゃないか」といわれ続けてきたんです。ですから、今回のセミナーを代表とするようなここ数年の世間の変化を、私はブームではなく、確かなトレンドが来ているのだと思っています。
農産物と加工技術
先ほど古森さん、相原さん、お二人のお話を聞いていて感じましたが、今、全国の農家でもこれだけのお話ができる人っていうのはなかなかいないです。逆に言うと、飲食の現場に立つ皆さんの方が、実際にお客さんを見ていて、これからの農業がどうあるべきかということをわかっておられるんだと思います。今日、皆さんの考え方にのっとって今後農家が野菜を作っていけば、WIN-WIN、つまり共存共栄の関係になれると私は確信しました。
それでは、実際に私が担当した商品をいくつか紹介していきます。
これは、青森県深浦町舮作(へなし)で作られる「ふかうら雪人参」です。11月に収穫できる人参をわざと収穫しないで越冬させますと、雪の中で凍えまいとしてどんどん糖化して甘くなっていきます。それを掘ったのがこの人参です。人参は、糖度が上がるとぱかっと割れちゃって真黒になり、規格外品が沢山出てくる。そうしたものは、大手食品メーカーの野菜ジュースの原料として原料費も運賃も出ないような安い価格で取引されているわけです。全体で6割ほど出るこの規格外品をなんとかできないかと相談されて加工食品技術を提供しました。
この深浦町の舮作興農組合という所で所有する人参畑では、40へクタールの土地で大体1000トンの人参ができます。寒風吹きすさぶ雪のなかで、40代から70代の女性が黙々と毎日6時間も働くんです。私は福岡県の百姓のせがれなのでちょっと作業をやってみましたが、5分ももたないね(笑)。この女性たちの光景を見ると、農家はもっともっと報われなくてはいけない。そうひしひしと感じるわけです。
それでうちの方でいろいろつくったんですが、この「人参ドレッシング」を年間通じて作ろうということになったら、このようにペーストに一次加工して取っておかなくてはいけないということになる。なぜ、日本の食産業で国産品を作るのが難しいかというと、今、わが国ではこの1次加工する仕組みが崩壊してしまっているんです。
皆さんが泥の付いた野菜を自分のお店に仕入れて、ゴミ落としの作業からやるというのは、東京のゴミの価格から考えても不可能ですよね。やっぱりきれいな状態とか、一次加工した状態で供給してもらいたいという飲食店のニーズに応えることが、これからの地方の農家が備えるべきポイントになってくるのではないかと思うわけです。
ちなみにこの人参の詳細ですが、10キロで組合出しが2000円。5キロで1200円。宅急便は別ということです。
続きまして、沖縄県うるま市の先にある津堅島の50ヘクタールの畑で作っている人参です。この島の人参は、アメリカの進駐軍があまりにおいしいので「キャロットアイランド」と島名を付けたくらいです。それで、この人参をもっと売り込んでいくためのプロモーションの手段として、ペーストが約2割入った「人参サイダー」を開発しました。これで火が付いて、今この人参が非常に売れるようになってきたわけです。
ちなみにこの人参は5キロで1000円、送料別だそうです。1月から4月の期間中に電話していただければ買えます。…うちは別に販売会社ではないんですけどね(笑)。でもみなさん興味を持っていただくと、買いたいとおっしゃるので…。
もうひとつ持ってきたのが、宮城蔵王の人参です。私は宮城県で13年間農家向けの起業塾をやっていまして、200人以上教え子がいるんですが、13回目の生徒だったのがこの阿部佳代子です。この人は蔵王で自ら耕し、自ら農産物を作っています。ということで、彼女にバトンタッチします。
阿部佳代子氏 みなさんこんにちは。私は宮城県蔵王町にあります株式会社アイ・アディールクリエーション代表の阿部佳代子と申します。3年前に起業したばかりです。
私は水道も来ないような山の中で、湧き水と、じいちゃんとばあちゃんが自然農法で作った野菜で育ちました。当時はそういった農家の貧しい暮らしがとっても恥ずかしく、それが宝だと気づくのはだいぶ後になってからのことです。
大人になると、エステ業界に入り、都会人として暮らしました。23歳で産んだ最初の子供も、二人目の子供も極度のアレルギー持ちでした。
そしてそんななか31歳で大病し、ステージ4といわれ、自分と向き合う機会がありました。闘病中、ふと生まれ育った蔵王のことを思い出し、山の中に戻って、もし自分がこのまま生かされることがあれば今度は食のことをやろうと決心しました。エステ業を全て辞めて、アトピーの子供を連れて故郷に帰りました。
昔じいちゃんばあちゃんの畑を手伝っていたので、無農薬・自然農法でもやれると思ったんです。でもできませんでした。それくらいつらく、大変なものでした。それから試行錯誤を続け、約10数年過ぎました。
3年前に起業したきっかけはやはり震災です。農家は高齢化が加速しています。日本の一次産業は、全国のじいちゃんばあちゃんたちが農業を支えてくれて成り立っています。農家は3Kといわれています。ほんとにキツイ仕事です。そしてすごく気候、天気に左右されます。さらには儲かりません。儲からないのは、日本は農協がすべて規格品しか扱わないからです。規格品だけ出荷したのでは儲かりません。だから、農業をやる若手はすごく珍しいです。
今日、古森さん、相原さん、鳥巣先生は私の言いたいことをすべて言ってくださいました。古森さんのような若手を育成するために私は起業しました。ですからこうした若手を日本全国にたくさん増やしていきたい。ある程度年齢のいった女性の私でも出来て、かつ儲かる農業法人のビジネスモデルを作ろうと思っています。
飲食店の皆さんの力で日本の第一次産業は助かります。私のような仲間を作っていきたいので、お力添えをいただければと思います。
さてうちでは、約10年前から5色にんじんというものを出しています。当時、築地市場でキロ1200円で出していました。非常に珍しいので高価な価格が付く人参でした。現在では「雪の下フルーツ人参」という名前で3色で出しています。
そのほか、キャベツ、白菜、ほうれんそう、セリ、いちじく等々約20品目くらい作っております。人参の方では、ドレッシング、ジャム、ピクルス、ラぺなどという形で商品展開をしております。懇親会の方で試食もできるということですので、今後共よろしくお願い致します。
鳥巣氏 阿部さん、ありがとうございました。最後にひとことだけ。
よもや再び外食の世界の方とお付き合いすることになるとは思ってもいませんでしたが、農家のためになることでしたら喜んでご協力させていただきますので、今後、私や当社のためというよりも、日本の農家のために、是非お付き合いをよろしくお願い致します。
佐藤 鳥巣先生、ありがとうごさいました。
(拍手)
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基調講演
「これからのカフェと食のあり方」
カフェ・カンパニー株式会社 代表取締役社長 楠本修二郎氏
1964年福岡県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、㈱リクルートコスモス入社。その後、大前研一事務所やスタイルディベロップ代表取締役を経て 2001年にコミュニティ・アンド・ストアーズ(現 カフェ・カンパニー)を設立し、代表取締役社長に就任。国内外に「WIRED CAFE」など100店舗以上の飲食店・物販店を経営するほか、飲食店や商業施設のプロデュース、都市開発コンサルテイング、地域活性化事業などを手がける。「クールジャパン」戦略推進会議に参画するほか、一般社団法人「東の食の会」の代表理事も務める。
佐藤こうぞう それではカフェ・カンパニーの代表取締役楠本修二郎さんに登場していただき、50分たっぷりお話していただきたいと思います。
楠本さんは昨年末「ラブ、ピース&アンドカンパニー これからの仕事50の視点」という本を出されました。非常に素晴らしい内容で、私も一気に読ませていただきました。
カフェ・カンパニーさんでは今月7店舗を出店され、4月にはついに100店舗達成とのことですが、3月はどんなお店を出されるんですか?
楠本修二郎氏 改めまして楠本です、どうぞ宜しくお願い致します。
ご存知の方もご承知おきじゃない方もいらっしゃると思うんですけど、うちは場所に応じて地域コミュニティを作ろうということで、カフェを展開しています。単なる業態としてのカフェではなくて、カフェのスペルを自分たちで「Community Access For Everyone」という言葉の単語の頭文字を取って「CAFE」と解釈してやっています。
僕は業態論で考えられない男なもので、店作りに関して「最近のトレンドでこんな業態を」ということは全くなく、3月に出すお店に関しては、東北に数店舗と早稲田大学の構内、茅場町の東京証券会館の1階、あとは新宿のNEWoManという新しい商業施設に出店します。これはニューヨークのウエストビレッジにある「Rosemary’s」という僕のすごく好きなオーナーがやっている店の日本第一号店で、施設の屋上にテラスと菜園を作りました。
佐藤 基本は全部カフェなのですか?
楠本 いえ、レストランに食堂に、今後オープン予定の表参道では“コリアン発酵居酒屋”みたいなこともやりますし、全部バラバラですね。
簡単に説明させていただきますと、僕が飲食店を始めたのは95年で、今の会社を作ったのが2001年です。当時の80~90年代というのは、チェーンストアオペレーションが全盛の時代でした。ただ皆さんもご存知の通り、90年代の後半からは、このままでいいんだろうか?的な風潮があり、僕は九州・博多の出身でとにかくひねくれものなので、こんな時代がこのまま続くはずがないと思っていました。
そんななか、97年に山一証券が経営破たんするというニュースがありました。この「山一ショック」が節目となって、従来の金融・不動産システムを基に右肩上がりの成長が続く、そんな時代が大きく変わったと思います。僕はとにかく飲食で地域を盛り上げることがやりたかったので、「コミュニティ」というキーワードを基に、最初は「コミュニティ・アンド・ストアーズ」という会社を作りました。そしてそれを前身として「カフェ・カンパニー」を立ち上げたという形です。
創業第一号店のカフェ「SUS」
楠本 2001年に創業した際の第一号店が、渋谷の高架下に作った「SUS-Shibuya Underpass Society」というカフェなんですが、僕のコンセプトは、東急東横線の高架を残して渋谷から代官山までの最短路線で遊歩道を作るというものでした。今でいうリノベーションの感覚で、「もう新しいものを建てる時代じゃない、古いものを活かす方がいいよね」と。皆さん、渋谷から代官山までって、恵比寿ルート、東、セルリアンの裏、どれを取ってもなんか歩きづらくないですか?ですから、電車が通らなくなったからと言って線路を潰すんじゃなくて、レガシーとして残そうと思ったんですね。
2006年、ニューヨークに「ハイライン」ができました。貨物船路の高架を残してリノベーションし、商業施設、ホテル、公園などを建てたものなんですが、このハイラインというのは、マンハッタンの金融資本主義がブルックリンに移り、ナチュラリズムとかクラフトマンシップに変遷していったことの象徴的存在なんですね。
僕が「SUS」の話をすると、よく「ハイラインの真似をしたんでんすね」と言われるんですが、「SUS」は2001年なんでハイラインよりもちょっと先なんです(笑)。残念ながら「SUS」の高架は取り壊されてしまいましたが…。でも、最近では日本も「やっぱりこういうものって残しといた方がいいよね」という流れにどんどんなってきていると思います。
ポートランドの発信力
話をポートランドに移しますと、2008年にリーマンショックが起きました。それによってマンハッタンとブルックリンは、今までのマネー資本主義的な発想から、もっとローカルを大事にしよう、ネイバーフッド(地元意識)を強く持とう、クラフトマンシップ、モノづくり精神を大事にしようということで、わずか2年くらいの間に変革し、再生しました。
僕はリーマンショックが起きた時、日本は本当にチャンスだと思ったんです。日本のモノづくり精神とか、地域を愛でる心とか、里山、里海の精神とか、そういったものが世界に再評価されるチャンスだと思いました。しかしながらNYの人たちは早かったです。時代の変化をちゃんと捉えて、わずか2年でNYを金融街からモノ作りの町に替えました。…ただ、日本は時代のそういった変化にさほど左右されることもなく、淡々とやり続けているという事実も、一方では強みだとは思うのですが。
ポートランドという街は、降り立った途端に、街全体が本当にカフェのような空気があります。一般に“おもてなし”といえば日本だねと言われていると思いますが、ポートランドのように“生産者”と“生活者”がすごく近い位置にいて、一緒に日常を楽しんでいるという空気が町中に満ち溢れている街って、やっぱり発信力が高いなと最近思います。なかでもマーケットプレイスやマルシェにおいて農家の方々が自分でブランドを作って、クラフトマンシップを自己発信する力がすごく強い。日本は、その辺をこの街から学べるんじゃないかなと思います。
(写真を指して)これね、「KEEP PORTLAND WEIRD」って書いてあるでしょ?WEIRDってどういう意味かというと、“バカチン”とかそういう意味です。「俺たちバカチンでいこうぜ!」って、なんとこれ、市長が決めてる市のキャッチフレーズなんですよ。
ポートランドは人口60万人しかいないけれど、世界の中でどういう座標軸でどういうポジショニングを取るのか、しっかり街全体でコンセンサスを取って、“世界の中のポートランド”というブランディングをやっている街なんですね。
佐藤 そして変わり者が尊敬されるという街ですよね。
楠本 そうですね。ただね、今日は外食の経営者の方が多いと思うので本題から外れてしまうんですが、それだけじゃないんです。
ポートランドもオレゴン州ですから、昔は木を伐採して世界に運ぶ港町だったんです。しかしそれが崩壊し、市が破たんしました。で、なにをやったかというと、市議会を廃止しました。だから、ポートランドっていう街には市議がいません。数億か数十億か僕は知りませんが、コスト削減です。市長がいて、4人のコミッショナーがすべての意思決定をしている。なので町全体が調和されて、スピーディに変化ができるということです。
佐藤 なるほど。あとビールといえばクラフトビールがすごいですね。
楠本 クラフトはほんとにすごいですね。ビールもそうですし、それからスタンプタウンは皆さんご存知だと思いますけど、コーヒー・ロースターズはサードウェイブの象徴です。ブルーボトルは有名だと思いますが、ただ彼らが本当にリスペクトしているのは日本の喫茶店のドリップコーヒーの技術なんですね。彼らはこれまで、コーヒーそのものの味をきちっと抽出するということをやってこなかったので。
そんなわけで、ポートランドといえば「スタンプタウン」。“Stump”というのは足跡という意味で、ポートランドは冬はずっと雨なので、“水たまりに足跡が残る街”ということなんだそうです。言い方がシャレてますよね。
佐藤 わたしも実際にポートランドに行ってかなりインスパイアされまして、「イートグッド」ということを今日のテーマにさせていただいたんですが、この考え方についてはどう思われますか?
楠本 そうですね、僕は“丁寧になってきた”ということなんじゃないかなと思います。当然オーガニックとか、最近のアメリカだと、グルテンフリーの大合唱なんですけれども、要するに丁寧に生産する、丁寧にそれを調理する、そして丁寧にお客様に伝える。「命をいただきます」というリスペクトが入るということ。そして僕の勝手な解釈ですけど、“生産者”と“生活者”がすごく近い、つまり地産地消、フードマイレージがとても小さいということでもあると思います。
「生活者」と「消費者」
佐藤 楠本さんは“生活者”と“消費者”を使い分けているんですね。
楠本 そうです。うちは“消費者”という言葉の使用禁止例を社内に出してまして。
一般的にいえば人はみんな消費者なんですけど、「消して費やす」と書くということは、食物連鎖の頂点なんですよね。だから経済的に言うと、サプライチェーンマネジメントで流通を消費者に届けるということになる。…この“一方通行”っていうのが、とにかく俺はいやなんです(笑)。
「生む」って英語でなんていいますか?「プロデュース」っていいますよね。だから、プロデューサーっていうのは、本来なら肩にセーターかけてる人のことじゃないんですよ。
佐藤 (笑)
楠本 言葉で意識が変わると思うんです。「生あるものを産む」大切な役割をやっていただいてるのは、本当は農家さんあるいは漁業関係者さんです。僕達はそれをいただく立場として、生あるものを消費するんじゃなくて、活かす役割がある。つまり、“生活者”というのはいただいた“生”を活かす義務があるんです。その活かし方を生産者にどういう風にフィードバックしながら、一方通行じゃなくて両方通行のコミュニティを作るか。
僕は、コミュニティメイクが自分のライフワークだと思っているので、地域の生産者と都市の生活者、あるいは都市に限らない生活者を、どうコミュニティに繋げるか、そればっかり考えています。ま、仕事になってるかどうかは分かりませんけどね(笑)。
コミュニティ3.0の意味
佐藤 最近はコミュニティ3.0という言葉を使われていますよね。
楠本 はい、本の中にも書いたんですけど、コミュニティという言葉が混乱して使われているので、ちょっと整理したという感じなんですが。
平たく言うと、僕達は水商売をやっているんです。生ある所に水があって、水がある所に飯場ができて、飯場に人が群れて村が生まれるわけですから。ですからコミュニティの原点は水です。
この水を媒介とした地縁とか血縁が本来のコミュニティなんですけど、現代の情報化社会で、時空を超えてネットで人が繋がるようになってきた。つまりサイバー世界の中で新たなコミュニティが発生したんですね。
カフェ・カンパニーは2001年に創業したんですけど、ネットビジネスで成功している友達に「馬鹿こけ」と怒られました。「コミュニティビジネスというのは、インターネットビジネスのことをいうのだ」と。…俺、超頭にきちゃって!(笑)
この地上でリアルに人と逢うこと、そして共感共鳴が生まれる場所があるということがこの先も絶対に求められると思うし、だったら僕はそのインフラを作ろうとおもって、それがカフェだというつもりでやっています。それがコミュニティ3.0ということですね。
よく“カフェは縁側だ”というんですけど、「縁側」って日本の建築を象徴するあいまい性です。皆さんビジネスにおいて、“経営者は決断ができないとだめだ!”っていわれません?俺、それが結構ツライんですよ(笑)。だってこっちもあっちも大好きで、なるべく決めたくないんです。接客業をしてたら、割とそういうものじゃないですか。
決断というのは「断るを決める」です。一方、優柔不断というのは「優しくて、柔らかくて、断らない」って書く。…めちゃいい奴じゃないかと(笑)。つまりうちでもあり、外でもある、そういう空間がこの縁側です。20年前だったら、日本の都市の高度利用化を図らなければならないので仕方がないですが、ここから先は人口減少型社会。緩やかになっていく成長プロセスの中で、このあいまいな場所をどんどん都市に作っておいたほうが、生活するうえで絶対に楽しいんですよ。
僕はカフェに限らず飲食店の役割というのは、“街と街”、“地域と地域”、あるいは“オフィス空間と商業通関”をつなぐ、そういうあいまいな役割というのがあるんじゃないかなと思っています。
食=いのち、旅=人生
佐藤 あと楠本さんといえば「旅」ですね。
楠本 …なんか、矢継ぎ早にどんどん来ますね…!(笑)
ええと、僕にとって旅は「風景の記憶」です。旅の過程でいいなと思ったものを記憶しておいて、ある場所で店をやろうと思った時に、記憶を再編集してこれこれ!みたいに作ってる感じなんですけど。
そんなことを言うと「あんた良かね、海外旅行ばっかり行って」と怒られそうですよね。でも最近よく思うんですけど、僕、テレビとか見てても旅をしてる気分なんです。ニュースを見ていても、よくその背景について考えます。
例えば、数か月前にパリでテロが起きました。フェイスブックやられる方はご存知だと思いますが、追悼の意を表すのに、ご自身のプロフィール写真をトリコロールカラーにするキャンペーンがありました。そのこと自体は僕も大賛成なんですが、ただ、一方でなんとなく感じちゃうんです。…僕達って、シリアとか、オマーンとか、ルワンダとか、こうした国々の国旗を掲げたことはあるのかな?と。
つまり“物事の背景にあることに想いを馳せる”、それが旅です。自分が地球とどういう風に同期してるかなと考えながら生きるというか。それは、言い換えると今日のテーマ「イートグット」ということでもあると思います。
僕は「食べること」は「旅すること」だといっています。食べる方に向かうというのが旅の原点なんで、だから旅は人生だと思うんです。前に向かっていかないと、人生つまんないじゃないですか。カッコつけた言い方をすれば、“食はいのち”であり、“旅は人生”かなと、そんなことを思ってます。
僕はトライアスロンをやってますけど、ただ単純に健康のためにスポーツしてるんじゃなくて、走っているとホントに地球と同期する感覚にもなってくるんですよね。
佐藤 生活者としての楠本さんのライフスタイルが、お店作りのベースにもなっていると。
楠本 そうですね。ただ、そうありたいと思っているだけですけど。
佐藤 稲本さん(ゼットン稲本健一氏)も会長になられましたね。彼も常に自分のライフスタイルをベースに新しい店作りをしていますね。
楠本 ねえ、突っ走ってますよね(笑)。イナケンの場合は、ホントに自分の好きなことに素直に向かって行ってるじゃないですか。あの強さって僕すごいと思うんですよ。
僕の場合はなんか、彼ほど自分がやりたいライフスタイルがそんなに強くなくて、自分で切り開いていくというより、「こういう場所があるんだけど…」という提案を受けて考えていく方が好きなんですよね。だからブランドがバラバラになるんですけどね(笑)。
「クールジャパン」と「東の食の会」
佐藤 あと楠本さんといえば、食分野における「クールジャパン」の活動ですよね。現状どういう活動をなさってるんでしょうか。
楠本 クールジャパンも全部ひっくるめて話をしますと、日本というのは、例えば「農業」は農林水産省、で農協がいて、他にもいろいろあって、それで外食産業があるという風に、各業界がメチャクチャ縦割りでバラバラです。はっきりいって僕はこれが気持ち悪くてしょうがないんです。なんで「食生活産業」という一つのチームにならないんだろう、そうなったら強いのにってホントに思います。
なので、そういう問題意識の中で、以前からオイシックスの高島(宏平氏)と仲間を集めて異業種のチームを作ろうよという話をしていました。そんななかで2011年に震災が起き、この日本の食を考えるチームを全て東北の復興支援事業に切り替えようということで、「東の食の会」を作りました。いま東北で起きていることは、復旧・復興を超えて、遅かれ早かれ日本全体の問題になってくる、そう思ったのがこの会の名前の由来です。
僕が何をやったかというと、人と人を繋いだということだけです。例えばポートランドの生産者は、セルフブランディングするのがとても上手ですが、日本の方は、農家に限らず文化伝統産業でもそうですが、「自分をブランディングするなんて冗談じゃない!」という感じですよね。なので、トヨタとかソニーとか、有名企業のテレビCM を作っているクリエイターと、生産者と、外食関連企業と一緒に7人8客くらいのチームを作ってヒット商品を作ろうということで「東の食の会」を作りました。
例えば「Cava?」缶というのを作りました。日本の缶詰めって、どれも毛筆の達筆で“さばっ”って書いてあるんです(笑)。あと“秋刀魚ッッ”とか。生産者の気持ちが込められているんですね。でも、買う側からすると、なんかどれも同じように見えたりもします。なので、「Cava?」缶は味噌煮とかじゃなくてオイル煮にしまして、海外の缶詰みたいな黄色いパッケージにして、ジャケ買いしてもらおうと思いまして。で、ダジャレで「Ca va(サヴァ)?」と書いてあります。フランス語でHow do you do?ですね。これは、発売から2年半で、今現在、約100万缶ほど出てます。まあ他にもいろんなことをやっております。
佐藤 「東の食の会」の取り組みや、様々なイベントを通じて、“生産者”と“都市生活者”、“飲食店”の関係を見つめ直そうとされているんですね。
楠本 そうですね。お手元に宣伝ですけど、「東の食の実行委員会」のプレスリリースを配布させていただきました。
いま、宮城とか岩手はだいぶ元気になってきているんですが、しかし福島は放射能の問題があってやっぱりちょっと特別な場所なんです。子どもたちは外で遊べません。いつか福島がきれいになってこの子供たちが大人になって戻ってきたときに、自然の中での遊び方を知らないというのは絶対にマズイ。ということで、「福島インドアパークプロジェクト~CHANNEL SQUARE~」というのを進めまして、ファミリーレストランを改装した場所にインドアパークを作りました。
中心になっているのは平学という人間なんですけど、資金が潤沢なわけではないし、しかも来場者の60%は小学生なのに小学生はタダなので全くお金にならないのにも関わらず彼は作っちゃいました。彼のこうした取り組みを見て、僕は福島にはホントに未来があるなと思っていますね。
世界に向けた日本の“食”のありかた
佐藤 最後に、これからの飲食店のありかたについてですが、どうお考えですか?
楠本 それがわかればこんな楽なことないと思うんですけど…。これ、ちょっと退屈な話かもしれませんが、でも未来はバラ色みたいな話をしてもしょうがないと思うのでお話しますと、世界に目を向けた時、僕は今後日本の食のマニフェストみたいなものを作る必要があると思っています。日本の食は世界に対してどういう役割があるのかということを、日本人自身がおおびくいを作って、進む指針をしっかり決める必要がある。
なぜなら今は、農業革命と、産業革命と、モータリゼーションと、情報革命と、それに代わるくらいの大変革期だからです。自分でやれてることなんてちっちゃいものですが、僕はそう思って創業しました。これは目に見えない進化、革命であります。なぜかっていうと、人の意識の革命だからです。
45年問題といわれてますけど、2040年には、実際に人類と食が飽和状態になります。例えばですね、アメリカで食の学校といえばCIA(The Culinary Institute Of America) 。そのCIAは今何をやってるかというと、マサチューセツ工科大学と提携しました。つまり、食のシーンっていうのは、食そのものだけでは解決できないところに来たということです。もっとソーシャルスタディの中で考えないといけない時代に入っています。
あるいは、ハーバード大学といえばMBAとか経営学部が有名ですよね。ところがハーバードといえばデザインや建築も有名で、この建築学科デザイン学部が何をやってるかというと、徹底的に食に取り組み、研究をしています。例えば健康、ナノテク、腸内細菌、医療医学、食料のサスティナビリティ、社会学、いろんなものを内包して食というものを考え始めています。それが今の世界の食のシーンです。
日本にそんな必要を唱える人は一人もいません。それがいいかどうかは別ですよ。ただ、本当に日本が食をもってして世界を幸せにするリーダーの役割を果たそうと考えるならば、そういった“世界と地球と食の関係”みたいなことを、見直すがあるんじゃないかと思います。
さっき里山・里海という話をしましたけれど、すごいんですよ日本の里山って。なぜかというと自然でできたものじゃないからです。日本の地形っていうのは、関東平野がまさにそうですが、山が急斜面で、いきなり沼地になります。ところが日本は、人間が山に入って、治水をして、灌漑をして、棚田を作って、だんだん水が循環する仕組みを作りました。つまり日本の食っていうのは人間と自然が共存して出来上がっているんです。生産者さんの脈々とした歴史のなかで日本の食が出来上がってきたということです。
それから、30年くらい前、瀬戸内海が赤潮になりましたよね。アマモという海藻があるんですが、船で行くとひっかかって邪魔でしょうがないのでこれを全部刈っちゃいました。そしたらプランクトンの異常発生が起き、そのあと海が死にました。でも瀬戸内の漁師さんは、牡蠣いかだをつくって、牡蠣を養殖して、ミネラルを放出してこのアマモを復活させました。アマモがあるということはそこに魚がいるということで、生態系が生まれるということです。竜宮城みたいなものですね。
この復活劇をみて、フランスの漁師さんはびっくりしました。なぜならフランスの漁師さんは自国ではハンターといわれている。海の資源を取りつくす野蛮な奴らだという風に見られてしまっていると。でもそれに対して日本の漁師さんは、自分たちの手で海の守り人をやっている。これはすごいことだということで、海外では「サトヤマ」、「サトウミ」という言葉は料理の「ウマミ」とかと一緒で海外用語になっています。
ですから、これからの外食の役割、食の役割で言うと、農家さんと、流通と、食品会社さんの英知と、外食みたいなところがこう、ひとつのタンクになりながら、世界中に広まっていくOSのような役割を果たしていくべきなんじゃないかと僕は思うんですね。
クールジャパンというと、「海外に何兆円売ろう」みたいな話になりがちですが、僕は5年間ずっと「売り物にするな」と言い続けてきました。そうではなくて、日本の食の考え方が世界をハーモナイズしていくOSのように普及する。基本的なベーシックとして日本の食が普及して、そこに共感が生まれたときに、結果的として日本の食が海外に評価される時代が必ず来る。だからいきなりセールスマンとして売り込むんではないんだと、そういうことを僕はずっといい続けています。
そうしたなかで、飲食店の今後の役割というのは…、うまく言えませんけど(笑)、いろんな人に感謝して、いろんな多様性をいただきますって言えるような場所を僕は作りたいなと、ただ単純にそう思ってます。
佐藤 ありがとうございます。私も微力ながら「イートグッド」という言葉で革命を起こそうと思っています(笑)。
楠本 そうですよね。僕「サルバドル」っていうカフェを作ったときに、テーマを“Do gooders”としました。僕は全然goodersじゃないんですけど(笑)、誰と、いつ、どこで何を食べるか。それがポジティブに循環したら世界は変われると僕は信じてるんです。
そう、“誰と良く食べるか”で世界は変わるんじゃないかなと思ってます。
佐藤 日本の食の在り方が世界を変えるという結論ですね。ありがとうごさいます。
最後にあまり時間がないのですが、会場の方から質問があれば。…仙台から、「東の食の会」をやっているスタイルズの佐々木さんがいらしてますね、お願いします。
佐々木 楠本さんお疲れ様です。最後の話と少しだけ重複しますけども、さきほど、我々飲食店や外食業界と生産者さんとのダイレクトな取り組みがあれば、今後もっと生産者が活躍する場面があるという話を聞いて、僕らも東北・仙台で食材のブランディングをしていこうと思いました。一番最初の入口の所で、まずそこの関わり方をどう構築していくかというのが大事かなと思うんですが、外食と生産者さんとの取り組み方がどういう形でスタートしていくべきか、お聞かせください。
楠本 いやほんとに僕が力不足で、「東の食の会」に東北の外食の方を巻き込み切れてないのです。なので、そうですね、こうぞうさんを巻き込むというのが一番だと思います(笑)!
農家さんというのは、いろんな知恵とストーリーと歴史をお持ちなので、それをダイレクトに聞かせていただくと、お客様に伝えたいという従業員のモチベーションにもなると思うんで、そこが単純な伝言ゲームにならないというのが一番大事かなと思います。
佐藤 ありがとうごさいました。
(拍手)
(構成 中村結)