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インタビュー

東京ミッドタウン「HAL YAMASHITA東京」 シェフ 山下春幸氏


アジア最大級の美食の祭典「シンガポール ワールド グルメ サミット」に、日本代表として選出された山下春幸シェフ。世界のマスターシェフの最高峰と称賛された、彼の料理哲学に迫る!

独自の目線で、素材そのものの味を引き立たせる”新和食”というジャンルを確立。国内外から高い評価を受け、この度アジア最大級の美食の祭典として名高い、第14回「シンガポール ワールド グルメ サミット」に、日本代表として出場を果たした。そして見事、地元紙に「今年のグルメサミットで味わった中で、最高の料理を生み出していた。」と賞賛を浴びることとなった。今後、グローバルシェフとして、さらなる活躍が期待される山下シェフの、料理哲学を紐解く。

――まずは、第14回「シンガポール ワールド グルメ サミット」への出場おめでとうございます。結果は、いかがでしたか。

5日間開催された会期中のランチとディナーで、レストラン「マイハンブルハウス」の100席ある客席が満席になって、すごく賑わいました。ウェイティングも、40名を越す状態でした。結果、総勢997人ものお客様にお越し頂くことができました。

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 ――提供されたお料理の内容を教えてください。

全13皿のコース料理です。料理の味は前半3皿で決するという考えを持っているので、1皿目に「鶏肝の黒糖焼酎&黒糖のレバーパテ 高知しょうが 金沢の最中」、2皿目に「瀬戸内の縞鯵のカルパッチョ ハルヤマシタスタイル」、3皿目に「シェフズスペシャリティアソート 牛肉の雲丹巻き フォアグラの甘エビ巻き」といったスペシャリテや自信作を集中させて、前半3皿に勝負を掛けました。メインは、「日本産黒毛和牛の炭火焼 生雲丹&柚子昆布ソース」にしました。

――客単価は、どのくらいで設定されましたか。

現地の体感で3万円程、日本円に直すと2万1千円程となる、240シンガポールドルにプラスドリンクといった価格帯に設定しました。

――始め、「シンガポール ワールド グルメ サミット」へ出場が決まった時、どのように思われましたか。

初めて聞いた時は、まず喜びが込み上げました。そして、審査対象となったことを大変光栄に思いました。でも段々と、本当に自分に出来るのかという、不安に苛まれるようになりました。

――なぜ不安に思われたんですか。

今まで日本人としては、三國シェフや米村シェフが出場されていましたが、その先人が築いてきた軌跡を汚すことがないよう、自分もそれに倣ってやって行かなくてはいけないと思いました。そして、日本人としての更なる挑戦を誓いました。でも、他に出場が決まっているのは、世界の名だたるトップシェフで、ミシュランスターに輝いている方々ばかり。自分に、スターはありません。

b6d9f64b-2.jpg――その中で、どのような気概で望まれたんですか。

日本の食材の良さを始め、日本食のクオリティの高さを、誇りを持って世界に打ち出したいと思いました。異国の料理を食べて美味しかったら、その国の文化にも興味を持ちますよね。食は、人の体内に入るものだから、メッセージとして伝わりやすいんです。自分は、日本の親善大使だという意識で、参加しました。

――「シンガポール ワールド グルメ サミット」への出場で、どのような点に苦労されましたか。

割り当てられたレストラン「マイ ハンブル ハウス」の厨房が中華用のキッチンであったことや、日本との食材の違いといった問題が圧し掛かって来ました。その上、現地スタッフとの言語の違いという壁もはだかっていました。中華用のキッチンでは、火力が違うので、使えるコンロがほぼありません。食材は、日本から搬入することにしましたが、そこが海外、キープチラーで日本から保冷して持って来た食材を、検疫のために屋外37度の炎天下の中、平気で丸一日放置してしまったりするんです。その物流の組み立てから更正して、約6ヶ月の準備期間を要しました。

――6ヶ月間の準備期間、どのようなことに取り組まれたんですか。

物流のロジスティックから、組み立て直しました。赤道を通ると、ほとんどの食材は痛んでしまいます。搬入経路上、あまりにも気温の高低差が激しかったんです。そこで、冷蔵コンテナ及びチラーを特注で作ってもらいました。築地に雲丹を発注する際には、「雲丹が箱の中で寄らないように」など、細かい指示も一つ一つ出しました。使えるコンロが足りなかったこともあって、備長炭とバーベキューグリルまで持って行きました。容量は、ロングコンテナ一本分にも及び、地元メディアに「食材を全て持ってくるシェフ」と、話題に上ったほどです。本当に、食材を運ぶルートを作るのに、6ヶ月掛かりましたね。

――それでは、結果はそのような努力の賜物だったんですね。会期中は、どのような考えで臨まれていましたか。

やはり、世界のスターシェフと肩を並べるのは、緊張しました。けれど、発想を転換させたんです。「自分も、日本代表として、彼らと同じテーブルにいる。自分らしいものを出せればいい。」いつもの実力をいかに発揮するかという、平常心と精神力を取り戻したんです。

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――シンガポールの地元紙「ストレート タイムズ」から賞賛を浴びて、どのように感じましたか。

全然予期していなかったんです。会期終了後、始めに沸いたのは、終わった喜びと疲れだけでした。終了日翌日に、あるお客さんとランチした時に、「すごいことになっているね!」と言われて、そのレストランで初めて記事を目にしたんです。その新聞の一面には、「グルメサミットの料理は、山下の見事な料理を除いて二流。今年のグルメサミットで味わった中で最高の料理を生み出していた。東京に行く際には、是非彼のレストランを訪れて頂きたい。私は、絶対に行く。」と綴られていました。ひっくり返って喜んで、涙しました。「己の敵は己にあり」、自分に妥協することなく勝負した結果が実りました。これは、頂いた評価への喜びというより、燃焼しきった満足感です。このとき、神様はいるなと思いました。

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