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フードスタジアムセミナー×焼肉ビジネスフェア2018 ミートフード EXPO 「新時代の焼肉店の勝ち方!〜大繁盛店の経営者に学ぶ〜」イベントレポート


1月24日、フードスタジアムは「ミートフードEXPO~焼肉ビジネスフェア」内にて、「新時代の焼肉店の勝ち方!〜大繁盛店の経営者に学ぶ〜」と題し、セミナーを開催した。ゲストは、街場の焼肉店から商業施設など都内6店舗を展開する「正泰苑」の金 日秀氏と、東京八重洲で一躍大ヒットを飛ばし、都内9店舗を展開する「炭火焼ホルモン ぐう」の呉 成煥氏の2名だ。彼らの創業から現在までの経緯や経営秘話、これからの焼肉業界についてなど、普段、語られることのない話を明かしてもらった。

 

(出演者)

株式会社正泰苑 代表取締役:金 日秀(キム イルス)氏

 

株式会社ユニバーサル・ダイニング 代表取締役:呉 成煥(オオ ソンファン)氏

 

(コーディネーター)

フードスタジアム株式会社 代表取締役:大山 正

 

大山 正(以下、大山):毎月、よりハイレベルな店、会社、人づくりを目指す飲食店経営者のための勉強会として、弊社が開催する「フースタ繁盛ゼミ」ですが、今回は「ミートフードEXPO~焼肉ビジネスフェア」内での開催となりました。ゲストは、金 日秀さんと呉 成煥さん。今、焼肉業界で注目の経営者です。まずは金さんから、自己紹介からお願いいたします!

 

金 日秀氏(以下、金):焼肉店「正泰苑」を運営する金 日秀と申します。「正泰苑」は、私で2代目。創業店は、荒川区町屋という職人と悪ガキしかいないような街で、駅から徒歩13分のところにあります。創業当時は10坪10テーブルの小さな店でした。私が小学4年生のころ、親が事業で失敗をしまして。それでどうしようかとなったとき、当時、「在日韓国人は焼肉をやれば食べていける」というセオリーがあり、それに乗っかるかたちで両親が焼肉店を開業しました。それが私の焼肉人生のはじまりです。ただ、それまでは事業をしていた両親が一転し、お客さまに対して「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と頭を下げる姿が幼心に衝撃を受け、正直言うと、当時はあまり焼肉によい印象はありませんでした。でも、焼肉は食べるととてもおいしい、という気持ちもあった。焼肉に対して複雑な思いを抱いた幼少期でした。そして今から23年前、私が27歳のときにその店を継ぎました。

 

大山:今では大繁盛店の「正泰苑」ですが、金さんが継いだ当時はどんなお店だったんですか?

 

:お客さまはなかなか来ずに、最初は苦労の連続でどん底状態でした。お恥ずかしい話ですが、継いだ最初の月の売り上げはたった87万円でした。1日の売り上げではなく、月ですよ、月。でも、従業員は妻と母だけだったので、意外と生活はできてしまうような状況でした。

(創業当時の「正泰苑」。おもに夫婦で切り盛りしていた)

 

大山:今の「正泰苑」を知る人からすると驚くような事実ですね。ここから現在のようなブレイクはどのようにして作られたのでしょうか?

 

:やはり、店を繁盛させるには、強烈なくやしさや喜びのような感情がないとダメだと思います。焼肉店を継ぐ前、私は調理師学校の講師の仕事をしていました。ただ、調理師学校の講師でありながらも現場経験がなく、自分を薄っぺらく感じていて、辞めました。講師の経験から調理には自信があったのですが、継いだ店では売り上げは上がらず、毎日、同じことの繰り返し。それでも生活はできてしまう。私はこれから一生このままなのだろうか?という悲壮感を抱えながら3年ほどが経っていました。

そんなある日、転機となる出来事がありました。いつものように仕込みを終わらせたら、店に設置してあるテレビで、夜の21時から火曜サスペンス劇場が始まりました。そしてすべてを見終わって23時。「あれ?」と思いました。その間、お客さまが誰一人として来ていないのです!そのときに、「このままじゃやばい」とはっきりと危機感を覚えました。生活はできるけど、これを一生続けるのか?焼肉とは一体なんだ…‥?という根本的な疑問を抱きました。これが、焼肉をイチから見直すきっかけとなりました。

 

大山:具体的にはどのような策を講じたのでしょうか?

 

:焼肉のポイントとは、まず材料。これは間違いありません。当時の焼肉店では、肉は電話かファックスで業者に注文するのが一般的でした。当店もそうしていましたが、そうして注文した肉は、良いものと悪いものの品質のばらつきが大きいことに気づきました。ところで、街の寿司屋の多くは、夜9時くらいにはお店を閉めます。それは、朝早くに築地に自分たちで食材を買いに行くから。焼肉店は寿司屋に学ぶところは多い。どちらも「材料型」の商売だからです。でも、焼肉店は素材のことをよく知らないし、市場に行ったこともない。これはおかしいということに気づき、仕入れ業者に自ら肉を見て仕入れたいというお願いをしました。そんなことを言う人は、当時は珍しく断られました。ですが、引くに引けず、自分の目で素材を選べる肉屋を探しに出ました。今思うと、これが成功の第一歩だったような気がします。

調べてみれば、バラ肉ひとつをとっても幅広い価格帯の肉がある。自分の目で見てバラ肉を仕入れたい。選べる立場で、お値打ちなものをゲットして商売するにはどうしたらいいのかというと、結局、それは人間関係に行きつきます。人間関係がしっかりできていないと、良い材料が手に入らないですし、良い業者とも知り合えません。

仕入れを改善すると、常連のお客さまが、「あれ、いつもよりおいしいね」と気づいてくれる。値段は今までと同じで、良いものを仕入れているので。すると、月に1回の頻度で来ていた人が2回来てくれるようになる。そうして少しずつ繁盛していきました。

 

私が店を継いだのが1996年でした。実は、その時代は焼肉だけでなく、外食産業そのもの、ひいては経済そのものが成長期だったのがポイントだったと思います。その当時は、従来の焼肉店にないものを出すとウケるような、いわばマーケットの拡大期でした。しかし、現在はマーケットが完全に縮小している状態。昔から続く老舗の焼肉店すらも、そこをしっかり踏まえられずに苦労していることもあるほどです。2000年~2002年くらいが外食産業の最盛期だったように思います。当時の産業全体の売上額は30兆円近くあった。ところが、今は24兆円を割るくらい。少子化に伴い、食べる人、作る人が少ない時代に入っている。この点をしっかりと考えていかないと、昔の焼肉店を否定するわけでないですが、今と昔で根本的にやり方を変えないといけないと思います。

昨日、安倍首相が今年を「はたらき方改革元年」と言っていましたね。今までの焼肉業界の労働環境は、正直、良いものとは言えませんでした。焼肉店は、労働コストを下げる分、材料費をあげていた。これは、本来、働く人の給料が吸収されていたということです。今後は、材料費などのFLコストをいかに労働コストに移行できるか、焼肉業界に限らず取り組んでいかなければなりません。今、焼肉はもう高付加価値の時代。たとえば白菜キムチが380円だったら、これからは480円で売らなければならない。その増えた100円分の価値をお客さまに感じさせる努力が求められます。

本日のテーマ、「新時代の焼肉」ということですが、これまで焼肉業界がどう成長してきたかや、私の多くの失敗を振り返って思うのは、「焼肉店は絶対に楽しい!」ということ。これだけは伝えたい。焼肉の楽しさ、それは材料の最後の調理を、お客さまにゆだねるということ、ここがミソ。この材料を出すまでの過程にさまざまな仕組みを作って、そこを楽しんでもらうことが、焼肉店の使命です。

 

(現在の「正泰苑」総本店)

 

大山:ありがとうございます。では、次は呉さん、自己紹介をお願いします。

 

呉 成煥氏(以下、呉):現在は都内で「炭火焼ホルモン ぐう」を8店舗運営。13年前に創業しましたが、もともとはアセットインベスターという不動産の会社でした。2003年、小学校時代の同級生の友人と後輩、私の3人で共同設立し、不動産売買を行っていました。その不動産取引をする過程で、本店となる八重洲の物件に巡り合ったのです。普通、不動産の考えでいけば、物件は貸すか売るかでしたが、当時はすさまじい立ち飲みブーム。8坪の物件で、八重洲という場所柄もあり、立ち飲み屋をやったらおもしろいと考えたのです。初代の店長となるスタッフと1日に5~10件の立ち飲みをまわってリサーチをしました。しかし立ち飲みは断念し、私が在日韓国人ということもあり、「やっぱり焼肉だな!」と、焼肉店を開業するに至りました。私は料理はできませんが、日ごろから尋常じゃない件数の飲食店を食べ歩いていて、店のよしあしをジャッジする自信はありました。お客目線でいい店が作れるのでは、と始めたのです。

 

(「炭火焼ホルモン ぐう 八重洲 本店」の様子)

 

本店をオープンするまでには10カ月ほど時間をかけました。まずは店長を焼肉店に修行に出し、その間にコンセプトや店舗デザイン決めていました。不動産事業も並行して行っていたので、割とのんびり進めました。2006年12月にオープンしたかったのですが間に合わず、12月と1月はずっとレセプションをしていました。毎日、知り合いが店に出入りしている様子をみて、通りがかりの人は「看板もないのにいつも人が出入りしている店」と不思議がりました。そして正式にオープンすると、たちまちお客さまでいっぱいになりました。当時、世の中はホルモンブームで、ホルモン好きの女性を指す「ホルモンヌ」という言葉があったほどで、当店にも多くの女性客が詰めかけ、ブームに乗ったことも大きかったと思います。8坪20席の店ですが、毎日100人くらいのお客さまを断っていました。この現状はもったいないので、近所でどこでもいいから次の店舗を出そうとなったところ、徒歩15秒ほどの雀荘跡の物件に巡り合いました。雑居ビル6階で、そこに飲食店を作るというのは常識的に考えられませんでしたが、契約し、本店の開業から1年後には、「炭火焼ホルモン ぐう はなれ」オープンし、そこもお客さまがあふれるほどになりました。さらに、八重洲界隈で物件を探しましたが、焼肉店ということで匂いや煙を気にして貸してくれるところはなかなかありませんでした。そんな中で見つかったのが、長い間、空物件だった新橋の物件。坪5万円という超破格の家賃で、誰も借りずにいたようです。ここくらいしかなかったですし、当時、素人だったので「えい!」と借りてしまいました。ですが、この店は立ち上がるまで5年かかりました。八重洲の店で出た利益を溶かす店でしたね……。

 

大山:日本橋にも出店されてますよね?

 

呉:日本橋の店舗は、当初は匂いや煙を理由に断られていた物件でしたが、やはり家賃が高く借り手がなかったようです。ということで、一度は断られたものの、向こうからオファーがきて、二つ返事で借りることに。そうこうしていると野村不動産から、出店しませんか、とオファーが。そのとき、金社長に相談したら「やらなきゃダメだよ」と言われ、舞い上がって出店を決めました。5店舗目までは勢いとノリと感覚でやっていました。その裏で、現場のスタッフが、がんばってくれていたんですね。

 

(「炭火焼ホルモン ぐう 日本橋」の様子)

 

大山:その後、五反田、池袋。ここ2年くらいですね

 

:6店舗目までは軌道に乗せるのに苦労しました。そして今年、新業態を作るために新会社を設立。それがユニバーサル・ダイニングです。アセットインベスターの運営委託を受け、「炭火焼ホルモン ぐう」を運営しながら、新業態を開発する会社です。

 

大山:店を創業しようと思ったとき、料理人はいなかったんですか?

 

:ええ。初代店長が、偶然、知り合った人で。調理はできないけど、包丁は持てるからやろうかという感じでした。ですので、後輩の焼肉店に修行に行ってもらいました。

 

大山:初代店長の李さん、今は赤坂の大繁盛店「炭火焼ホルモン かぶん」という店を経営されています。では、金さんに質問ですが、事業継承についてはいかがでしょうか?

 

:繁盛店を受け継いだわけではありませんし、事業承継に大きなハードルがあったわけでもありません。今の焼肉業界の2代目は大変そうだと思いますし、よく相談もきます。「それは説得するしかないね」というのが落としどころという場合も多い。銀行に対する信用度なども考慮すると、しっかりと考えて、創業者の同意も得て、自分の想いだけでなく働く仲間、業者、お客さまにとってどういう状態がいいのか、時間をかけてちゃんと答えを出さないといけないと思います。

 

大山:金さんが継ぐことになったのはどういう経緯があったのですか?

 

:兄が2人いて、私は末っ子です。事業をしていた両親が、突然10坪の小さな焼肉店をはじめたのを我々兄弟は衝撃を受け、兄たちは継ぐのが嫌だったようです。だから、家族が望むのであれば、という感じで私が継ぎました。当初は、あまり野望などはなかったですね。

 

(「正泰苑」の看板メニュー「塩上カルビ~わさび醤油を添えて~」1674円、税込)

 

大山:苦労や失敗談はありますか?いつ、お店は繁盛に向かったのでしょうか?

 

:少しずつ改善していっきました。先ほど話したように、材料の仕入れの見直しを。徐々に、「商売ってこういう感じなんだな」と理解していきました。やがて売り上げは月に300万円ほどに。従業員は私と妻、それとアルバイトが1人で、家賃は3万円。だいたい100万円ほど利益として残るようになり、要領が掴めたように思えてきました。徐々にお客さまに「おいしい」と思ってもらうよりも、「びっくり」させる仕組みが作れないかと考えるようになりました。そこで、カルビをリブロースで提供しました。本来はバラを提供するのが一般的でしたが、当時、店で扱うなかで一番小さい塊肉がリブロースでした。ですので、背中肉の解体には自信があった。目新しいことをすれば、おいしいかどうかは賛否両論だとしても、お客さまの印象に残る。そういう商品を作れたのが、一番大きな繁盛店になったきっかけです。それが1999年、ちょうど私が31歳になる年。そのときの時代背景を鑑みると、人々が携帯電話を持ち始め、ネットが普及し始めたころ。今でいうグルメサイトのはしりのようなものが出てきたころです。「東京レストランガイド」という雑誌があったのですが、2001年度と2003年度で、当店が総合で1位になってしまった。当時、町屋駅前にも出店し、2店舗あったのですが、これが宝くじに当たってみたいな追い風になりました。半年先まで予約が取れない状況となり、まるで人生が一変したような気分でした。さらに、レストランガイドの「ザガット」にも掲載されました。

 

大山:他の掲載店は、銀座 久兵衛、うかい亭など、錚々たる店と並んでいますね。

 

:もともと店舗展開をしようというような野心はありませんでした。当時、トラジの金 信彦社長にかわいがってもらっていて、金社長の「一緒に焼肉業界を盛り上げよう」という言葉に騙され、のちに大変な思いをすることになりました(笑)。

 

大山:呉さんの苦労談は?

 

:私の苦労話……。不動産屋だったのでなにもわからないとことからのスタートでした。知り合いだけは多かったので、知り合いに聞いて、知り合いに任せる。知り合いのところにスタッフを行かせて勉強させる。FL、QSCなどの経営に関する用語を知ったのも5年前。本当に感覚だけでやっていました。私はもっとも厳しいお客でいよう、というだけ。現場スタッフには、具体的なアドバイスなどをできなかったので、スタッフには悪かったなと思っています。また、当時は飲食店の有料の販促に抵抗があったので、そういうこともまったく知らずにやっていました。そのため、新橋、渋谷などの店舗は軌道に乗るまでに時間がかかった。八重洲の好調で維持していたような感じです。

というのも、不動産の感覚で会社運営をしていたからですね。不動産は、儲かるときはどんどん行きますが、儲からないときは大人しくしていればいいという感覚。一方、飲食では不調のときも毎日、店を開けてお客を迎えるスタッフがいる。スタッフの評価体系などの会社の環境が未熟で、スタッフとの溝が生まれました。不動産業の感覚でやっていたため、毎日頑張るスタッフに対する還元ができていなかった。そこを修繕するのに苦労はしました。

 

大山:新橋の店舗は今も家賃は坪5万円なんですか?

 

:いえ、当時よりさらに値上がりしています!新橋は今は15坪で80万……佐藤こうぞうさんにも、そんなところで店をやるべきではないと言われました(笑)。

 

:うちは立地に戦略はありません。銀座にも出店しましたが、ミーハーなので、飲食なら銀座、みたいなイメージです。芝大門が3店舗目ですね。銀座で物件を探していたのですが、見つけられなかったのでそこまで弾き飛ばされたみたいな感じですね。戦略より、ここで店やりたいかどうかで決めています。

今、振り返ると何も考えていませんでした。実は「うちで働きたい」という人が多すぎて、働けなかったんです。断ったら、空きが出るまで待っているという。募集することなく、やる気ある人材が、私のようになりたい、という人がいっぱい集まっていた。なので、どこでもできるという感じがありました。

(「正泰苑 芝大門店」の様子)

 

大山:金さんの店舗で、集客に苦労されたところはありますか?

 

:その芝大門の店舗は苦労しました。開けてみたら、土日はどこも店がやっていない。オープンして初めての土曜に知りました。人通りがなく「これはやってしまった!どうしよう…!」と思いましたが、とにかく無休のお店にしたったので、開け続けてみました。でもお客さまは来ない。「正泰苑」を知っている人がちょっときてくる程度……。ですが、実は芝大門エリアは、銀座のチーママ、ママクラスの人が住んでいる街だったのです。土日は芸能人や政治家とのゴルフ帰りに来てくれるようになりました。それをきっかけに周辺の土日の商店が活気づきはじめ、商店街の活性化に貢献したとして、商店会長に表彰までされました。そこでオーバーフローのお客さまを銀座に呼び込みました。ママは銀座で働いているので、宣伝不要でした。

 

大山:呉さんの店舗展開はどのように計画していたのでしょうか?

 

:始まりがうっかり手に入れた物件のビジネスなので、当時はここまでは考えていませんでした。あふれているから受け皿を作る。八重洲で繁盛していたから、新橋で。八重洲と新橋、客層も似ていたし、貸してくれたところがそこしかなかったという感じでした。今は、山手線のターミナル駅付近でのドミナント展開を考えています。

 

大山:渋谷店は今までやってきたところの倍以上の家賃だけど、抵抗はなかったですか?

 

:オファーがあって舞い上がっていたので、とくに恐れはありませんでした。金社長に「やらなきゃダメ」と言われ、やりました。

 

大山:勢いも大事、ということですね(笑)それでは次の質問ですが、焼肉店として大事にしていることはなんでしょうか?

 

:焼肉は、牛肉料理のチャンピオンだと思います。頭からしっぽ、内蔵全部使う。こういう業態は他にはない。すべての部位の目利きができて、すべてを扱えるのは経済効率がよく、メリットです。もうひとつの焼肉のメリットは、最後の調理をお客にゆだねるセルフクッキングにもかかわらず、5000円以上の単価がとれること。ということを考えると、焼肉とは特異な業態であるといえます。お客さま自身が焼くのに、高い客単価がとれる。ですので、最後の調理(焼くこと)に徹底的にこだわるのが大事だと思います。

 

大山:最近はスタッフが肉を焼いてくれる焼肉店もありますが、どう思いますか?

 

:うーん、なんとも(笑)お客さまが会話をしているのに、スタッフが横で焼いているというもの……。そもそも、焼肉の醍醐味とは、みんなで前かがみになって、食材を見ながら、「焼く」という協働作業を通すことで「おいしいね」と認識して食べることにあるのではないでしょうか。聞いた話ですが、お客さまが焼く焼肉という業態では、ミシュランの基準には入らないそうです。そういった、美食として追求するのであればアリという気はしますね。

 

大山:呉さんの焼肉に対するこだわりは?

 

:私は調理が一切できないので、これまで培ってきたお客の観点からの話ですが、今から20年前、焼肉店に行こうと思うと、「スープならあの店」、「ユッケならあの店」、というように、「おうちの味」があった。当店も、「おうちの味」を大事にしたいとこだわっています。当店に来たらこれを食べてほしい、というのは、創業当時にスタッフと議論しました。あとは気をてらったものよりも、スタンダードなメニュー構成。「ザ・焼肉」を食べにくる店としてこだわりたい。

 

大山:繁盛店を目指すうえで心掛けていることはなんでしょう?

 

:店が忙しくなって、大事だと思ったのは、業者の人との付き合い方ですね。長く付き合っていきたいですし、同じ夢を語りたい。私のこうしたい、というビジョンに共感してもらいたいと思っています。もうひとつ、繁盛店をキープするためには仲間や組織のことを考えることも不可欠。おこがましいですが、一緒に働く仲間の環境については、オーナー自身が思いっきり思いを馳せて、時間とコストをかけて作っていかないと、繁盛を続けるのは難しいと感じています。

 

大山:そうですね、人材については後ほど聞きたいと思います。呉さんはいかがでしょう?

 

:一般論に近いですが、やはりお客さま目線。常にお客さまの観点で物事を見たい。経営的には、ヒト、モノ、カネ、情報、立地。こだわり続けること。それを毎日こなし続ける粘り強さでしょうか。また、当たり前ですが、QSCも大切にしたい。

 

大山:注目の店や経営者はいますか?

 

:トラジの金 信彦社長や、叙々苑の新井泰道会長はカリスマですね。彼らの活躍は嫌がおうにでも目に入ってくる。彼らの道のりが、焼肉の未来という感じはします。私はあまり業界の会合などは出ないんですよね。今回も、呉さんの誘いで出ることに決めました。情報がたくさん入ってくると、それが気になってしまうんです。あれができてない、これもできてないなあと。外食って、店舗数や売上だけが勝者のバロメータではないと思う。1店舗でもすごく成功して、人間的にも素晴らしい経営者もいれば、100店舗あっても尊敬できない人もいる。飲食では、自分がオーナーとしてどうありたいのか、いろんなゾーンに勝ち負け、意味を持たせることができる。自分がなにをやりたいのか決めて、その道のりでさまざまな人に出会える気がします。お店の現場から離れて経営に入ると、いろんな問題が気になり始めた。そこで、以前、叙々苑の新井会長に、金、人材、経費、そういったさまざまな問題はどうしているのか?と聞いたところ、怒られました。「そういうことは、ちゃんと真っ当な道を進んでいれば、必ず専門分野の人が現れる。君はなにができるの?社長なら、美味しいものを作るのに専念しないと!」と。そう言われて…、惚れてしまいましたね。

トラジの金社長は天才ですね。お互い、まだ店が1店舗しかないとき、定休日である毎週月曜日に焼肉店巡りをしていました。彼は1日に7軒くらい回るんです。普通は、食べられないのでせめて3軒が限界です。ですが彼は、4軒目のお店に入るとき、「今度、大きな宴会を考えているので、店やメニューを見せてもらえないでしょうか?」と言って入っていく。そうすればお店の人も快く見せてくれますからね。そうして7軒回るんです。私は、正直恥ずかしいと思いましたが、結局、私ものちに同じことしていました。金社長の、その貪欲さ、「もっともっと」という行動力は刺激になりました。多店舗展開のきっかけをくれた人でもあります。

 

:生きた化石のシーラカンスのごとく伝説となっているような老舗が好きですね。今は、そういう方向に原点回帰したいと思っているところです。足立区の「長興屋」。そこは週1回、通いたくなるようなお店。駅から遠くて、忙しいのでなかなか行けませんが。銀座の「東京園」もおすすめです。すさまじい店ですが……(笑)

 

大山:「東京園」、私も呉さんに連れてっていただいたことがあります。おばちゃんが一人でやってて、電話が鳴りっぱなしで取らないんですよね(笑)。

 

:注目している経営者は、仲良くさせてもらっている、「大衆ビルトロ ジル」などを経営するジリオンの吉田裕司さん、「大衆酒場 BEETLE」などを経営するプロダクトオブタイムグループの千 倫義さん。彼らは超リスペクトです。才能を感じますし、憧れます。

 

大山:人材育成についてはいかがでしょうか?

 

:マーケットが拡大しているとき、「私のようになりたい」と働きに来てくれた人は、すべからく卒業し、繁盛店を作っています。そして、とうとう、うちに人がいなくなった。それが6年ほど前。オーナーとして自信をなくしてすさんでいた時期です。自分を改めないといけないという現実を突きつけられました。そのとき、自分にとても強い被害者意識があったのを覚えています。「おまえらのせいで俺は」というような。すると、現場スタッフも被害者意識を持つようになってしまったんです。優秀な人材が卒業し、残った現場スタッフは疲弊しました。被害者意識が広がり、片目をつむったような料理やサービスを提供するようになりました。どうにかしないという状況になり、外部にコンサルをお願いしました。宣伝のようになってしまうのですが、G.S.ブレインズ税理士法人の近藤浩三先生に入ってもらいました。「腐ったミカンを取り除くため、オーナーが覚悟を決めなくてはいけない」と近藤先生に言われ、私は生まれ変わると宣言しました。「360度見える化」という取り組みの一環で、スタッフから匿名で、「私が本当はどう思われているか」をアンケートしました。その結果を見て、悔し涙をしましたね。言ってることとやっていることが違う、騙された、嘘つき、人を選り好みするとか。やっていたんでしょうね、知らず知らずのうちに。「私は生まれ変わるので、みんなも生まれ変わってほしい」と言うと、私に近い人ほど、店を卒業していきました。残ったスタッフは、厳しく指導して、落ち込んだら大丈夫だよとなぐさめる。すると、スタッフは次第に厳しくされることに慣れて、成長していきました。それは数字面でも裏付けられるようになった。そして、6年目が経った今、状況はかなり改善されました。そんなこともあってか、採用難の昨今ですが、なんと来年の新卒は11人も採用することができたんです。そういったことをみんなで取り組むとうまくいくんだ、と実感し、それまではしばらく新規出店はしていませんでしたが、この度、新店舗のオープンが決まりました。

 

(2018年6月、GENS三軒茶屋にオープン予定の「正泰苑」)

 

大山:三軒茶屋のGENS三茶に出店ですよね。「正泰苑」、久しぶりの新店舗です。社長が変わったことで再出発。強い組織作りの最中ですね。

 

:うちは先輩・後輩の関係が多かった。スタッフが後輩で、その後輩がさらに後輩を連れてきて……と、5店舗目くらいまではそのノリで人材を集めていました。当然、ガタがきて、組織の分解寸前までいってしまいました。やはり、うちでも外部コンサルに入ってもらい、まずはマニュアルを作りました。マニュアルに対してアレルギー反応はありましたが、店の一定の基準は大事だと思いました。さらに、給与制度と連動するような育成プログラムも作成。スタッフが、どのようなスキルを付けたら、給料がいくら上がるのかを明確にしました。その目標に沿って計画を立てて、スタッフ本人と監督者が相談をしながらプログラムをこなし、目標を達成すれば昇給というものに取り組んでいます。

 

大山:昇給の見える化。スタッフにとって納得度の高い仕組みですね。次の質問ですが、社員の独立についてはどう考えていますか?

 

:独立ありきの人しかいなかったので、先ほど述べた通り、マーケットが縮小したころに独立している。繁盛しているけど、次の店舗にいけない人が多いですね。もっとも店舗数が多い人で3店舗です。だいたい、1~2店舗の卒業生がほとんどです。

 

大山:金さんのところからは、延べ13人が卒業しているんですね。スタッフが独立したいと言い出したとき、どうしていますか?

 

:答えから言うと、スタッフの独立は止められません。ですので、いかに独立希望のスタッフの背中をきれいに押してあげて、今いるスタッフにどう思われるかが大切ですね。

 

大山:卒業後の関係性も大事ですよね。

 

:卒業したら仲間ですから、その人から学ぶこともあります。対等な関係であるのが一番大事。独立しても、義理を果たして正々堂々としている人はいい店を作る。でも、ちょっとしたわだかまりのある人はあんまりうまくいっていない印象です。せっかく、飲食という人を喜ばせる仕事をしているのだから、正々堂々としている人が、人としても魅力なんじゃないかなと思います。

 

大山:SNSなどを活用した集客方法はいかがでしょうか?

 

:素人の感覚で、お客の目線でやれば、お客さまは来ると思っていたのにうまくいかず、5店舗目でつまずきました。新橋と渋谷の集客には苦労しましたね。このままでは赤字を垂れ流すのみだったので、ネットでいろいろと検索して、飲食店の販促、コンサルなど情報収集しました。そして、大山さんが手掛けた販促事例の記事にたどり着いたのです。そこには、販促を利用した成功事例があり、魅かれました。すぐに、当時すでに知り合いだった佐藤こうぞうさんにお願いして、大山さんを紹介してもらいました。当店の現状を話し、いつまでにどのくらいの売り上げにするか、計画を立てて施策を実行しました。すると、売り上げが段違いに上がったんです!

 

大山:完全に私の宣伝になってしまいましたね……(笑)。私はずっと広告関係の仕事に携わっていまして、その経験から販促周りのお手伝いも行っています。呉さんの店では、とくに変わったことはやっていませんが、基本的な販促をしっかりとやりました。

 

:それと、五反田の「GU3F」。こちらのオープンも大山さんがきっかけでした。3階建てビルを一棟ごと借りたテナントです。大山さんがあるお店を紹介してくれて、そのお店のインスパイアです。それまで、煩雑なオペレーションでスタッフに負担をかけることをどうにかできないかと思っていたので、この店は、スタッフは商品を提供するだけで、お客さまが完全セルフで食事をするスタイル。紹介制・予約制の焼肉店です。大山さんとSNSでバズらせたい!と目論み、見事バスらせました。現在、3ヵ月先まで予約で埋まっている状況です。

 

(五反田の会員制焼肉店「GU3F」の様子)

 

大山:今はSNS時代なので、会員制、貸し切りというのは受けがいいんです。元ネタは焼肉界では有名ですが新宿 曙橋の「焼肉ヒロミヤ」というお店。私は以前、10年ほど曙橋に住んでいましたが、それでもその店の存在は知りませんでした(笑)

「GU3F」は、SNSで話題になるような仕掛けをしました。呉さんの言うように予約でいっぱいですが、たまにキャンセルも出るので、気になる方はチェックしてみてください。

 

それでは最後に、経営ビジョンと、これから焼肉を始める人へのメッセージをお願いします。

 

:ビジョンはないけど、今後について。私はあくまで原点は「焼肉屋のオヤジ」ですが、その「焼肉屋のオヤジ」としてのチャンスかなと考え、今度の新規出店に挑みます。出店して仲間を増やしていきたい。売り上げも、現在10億円ほどですが、20億円超に。スタッフも今の倍の160人くらいにしたい。これまで歩んできた道のりを振り返って、よくもなく悪くもなく、悔しさがない、という状態は嫌ですね。根本的な経営ビジョンはこれから。正直に申し上げますと、これから焼肉店の開業を目指す方にとっては、今の時代は難しいように思います。まず、イニシャルコストがかかる。昔のマーケットが広がっていくような時代なら、4年くらいで初期投資を回収できましたが、今は回収には7年ほどかかるでしょうか。ビジネスモデルとしては重いと思います。でも、これからも必ずニュースタイルの焼肉を作っていく人はいると思います。「飲食店の究極」はなにかというと、今も昔も、「満卓の店」だと思います。これに限る。今後も、保守本流で進めていきたいと思います。

 

大山:三軒茶屋の新店のコンセプトは?

 

:既存店と同じでいこうと思います。お店の作りがハイソで知的な雰囲気なので、デザイナーを入れて、「焼肉秘密基地」のようなデザインにはしようと思います。野原にぽつんと土管が置いてあって、覗くとそこには焼肉屋があるような……そんなイメージです。

 

:前職の不動産事業のころからの、飲食事業における中期計画があるので、それに沿って粛々と進めていきたい次第です。そこから、一つ変わったことは、来月オープンする新業態です。「炭火焼ホルモン ぐう」の焼肉業態と、今度の新業態の2軸でいきたい。それにより、スタッフが長く安心して働けて、幸せになる職場にしたいからです。

 

(2018年2月、門前仲町にオープンした「もつ焼よし田」)

 

大山:呉さんは門前仲町に2月、豚のホルモン焼き「もつ焼よし田」を開業します。期待しています。それでは、金さんと呉さん、そして会場のみなさま、本日は本当にありがとうございました!

 

(講師のお二人とコーディネーター大山、フードスタジアム編集長

佐藤こうぞう、飲食店経営者のお仲間さんたちと)

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