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【NEXT イノベーターズ】FILE.2 第五世代同士のトップ対談「同じ年だからこそ見える飲食業界のこれからとは」

2005年の設立以来、都内を中心に20店舗近い飲食店を運営しているコメール(東京都港区、代表取締役社長 西山慎也氏)。おでん割烹「こんぶや」や和風居酒屋「ほの字」、中華業態「JASMINE」など、多様なブランドを展開しており、大人が楽しめる色気のある店が多い。そんな同社の躍進を牽引しているのが代表取締役常務・戸張一輝氏だ。1982年生まれで、現在34歳。まさに第五世代の代表格となりえる人物である。一体、氏はこれからの飲食業界をどのように見ているのだろうか。同じ1982年生まれであるフードスタジアム代表・大山正が戸張氏との対談を通して業界の将来について語りあかす。


――現在、戸張さんは代表取締役常務。実質、会社のトップというポジションですよね。コメールに入社されてどのくらい経っているんですか?

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戸張一輝氏(以下、戸):そうですね。当社の体制は、取締役が4名と社外取締役が1名いて、専務と副社長というポジションがありません。現在の社長が函館で不動産業をメインに営んでいることもあって、僕が営業のトップとして、会社のかじ取りを全面的に任されています。入社したのは22歳のころだから、今から13年ほど前の話ですね。当時、コメールではなくて、グッドコックという社名でした。30歳のとき、会社のオーナーが変わったタイミングで執行役員になっていて、31歳のころに代表取締役常務に就任しています。

 

――同じ年ですが、長い間、ひとつの会社に勤められていて尊敬します。僕は会社勤めが苦手なもので(笑)。

戸:僕もここまでやれるとは思ってなかったですよ(笑)。昔から自分のことを知っている友人は、みんな驚きますね。長く続けて来られたのは、チャレンジさせてくれる環境が肌に合っていたからではないでしょうか。足立さんや渡辺さんが社長のときはもちろん、現社長もどんどんとチャンスを与えてくれます。「失敗してもいいんだ!」が口癖であるくらいですからね。

 

――コメールに入社される前から飲食業界にいたんですか? それとも別のルートから飲食の世界に?

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戸:実を言うと、高校を卒業して、しばらくの間は演劇をしていました。だけど21歳のころに辞めたんです。このまま夢を追っていても仕方ないなと思って。うちは両親が離婚しているから、母親の面倒も僕がみたいと考えていましたし。それで将来の進路を模索しだしたんですが、やりたいことがなかったんですよね。どうしようかなと思った時、「そうだ観光ビザでニューヨークに行こう」って。思い立った3日後には飛行機に乗っていました(笑)。

 

――すごい行動力ですね(笑)。ニューヨークに知り合いが?

戸:演劇の師匠のご友人がニューヨークに住んでいたんです。僕も東京で一度お会いしたことがあって顔見知りだったので、半ば強引に住まわせてもらいました。全くお金を持ってなかったですからね。ただ居候の条件が一つだけあります。それが三ヶ月間住まわせる代わりに、レストラン開業の工事を手伝えということです。実は、その方も元役者で、演劇を辞めた後、ニューヨークのマンハッタンにある有名な日本食レストランでマネージャーをされていました。当時、そこを辞めたばかりで、自分の店を出すための準備をしていたんです。別に断る理由もなかったので、ニューヨークに滞在している間、ずっとそれを手伝っていましたね。真冬のニューヨークで手をかじかませながら、古木を拾ってきたり、木材の釘を抜いたりして。

 

――過酷ですね。ただニューヨークでの経験が飲食業界に身を置くことにつながっていくと?

戸:ニューヨークから帰国した後も、少し迷いがありました。正直に言うと、飲食はやりたくなかったんです。むしろ嫌いな業界だったかもしれません。自分の好きでもない人に「ありがとうございました」と言わなければいけない。そこに抵抗を感じていたんです。だけど働くと決めたからには、自分の嫌なこともしてみようと思って、飲食業界に飛び込みました。それで最初に選んだのが、ユニマットプレシャスが運営する銀座の和食レストランです。オープニングメンバーとしてアルバイトで働きだしましたが、結局、数ヶ月で辞めてしまいます。

 

――えっ、何があったんですか?

戸:知人を通して出会った渡辺さんに「うちに来いよ」と誘われたんです。3日考えてダメならダメだから、3日の間で来いよ、と。カッコいいセリフですが、渡辺さんはベロベロに酔っていましたけどね(笑)。でもその言葉に背中を押されて、すぐにコメールの門を叩きました。そしたら「渋谷の『ほの字』で働けよ」と言われて、そのまま社員になって。ちょうど22歳になったばかりの7月の出来事です。

 

――急展開ですね! また行動力もすごい。

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戸:世の中のことを何も知らなかったからでしょうね。何も考えていなかったです。入社して2週間くらいで、店長のことが嫌になって「もう辞めます」と言っていましたし。そうしたら渡辺さんがスッ飛んできて、銀座店に移してやるから頑張れと。当時、「ほの字」が渋谷と青山、恵比寿、六本木、銀座一丁目、銀座六丁目の6店舗あったのが功を奏しましたね。

 

――それでは渡辺さんが戸張さんの飲食業界の恩人ということになるんですね。

戸:その通りです。渡辺さんがいないと、今の自分は絶対に存在しません。一年のうち360日は一緒にいましたし、休みの日も朝から一緒でした。飲食業界のイロハを全て教えてもらったと言っても言い過ぎではないですね。とても破天荒な方で、高校時代は森で暮らしていたとか言っていましたが(笑)。

 

――それは破天荒過ぎますね(笑)。ただ当時のコメールにはヒットメーカーの足立さんもいて、すごい刺激のある環境だったのではないでしょうか。

戸:創業社長の足立さんはカリスマ性があって、すごく魅力的に感じていました。感性の足立と実務の渡辺。当時、社内ではそういう風に呼ばれていて、二人から吸収したことは数多くあります。

 

――羨ましい環境だと思います。そうした刺激を吸収しながら、代表取締役常務まで一気に駆け上がっていったんですね。

戸:いや、そうではないんですよ。僕、入社したころ、金髪にピンクのメッシュといういで立ちでしたし(笑)。でも周りも同じようにひどくて。決して、人のことを言える立場ではなかったんですけどね。それで22歳のころに頑張れば一気に周囲を抜けるかなと思って、具体的な目標を立てました。25歳で店長、27歳でマネージャー、そして30歳で役員になろうと。倍の時間働くのは物理的に無理なので、一時間当たりの作業効率を上げるように取り組んだら、目標にしていた25歳で実際に店長になれたんですよ。自分のやり方は間違っていなかったと思いましたね。それで今度はマネージャーになろうと同じように取り組んだら27歳でマネージャーになれて。

 

――そういえば震災があった年、丸の内の「自由ヶ丘グリル」にいましたよね。あのころ店長になったんですか?

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戸:そうなんです。震災の3日後、店長に就任しました。店舗の立て直しで赴任したんですけど、全くお客さんは来なかったですね。それでも3ヶ月目で前年対比まで持っていくことができました。4ヶ月目以降、さらに売上を上げるためリニューアルをしようとしたら、上の人間があまり乗り気ではなくて。そこで営業を休まずにプチリニューアルをしましたね。朝まで通常の営業をして、ランチ帯のオープンに向けて仕込みをやりながら店内の改装も行う。だいぶ無茶なリニューアルを実行しましたが、4か月目に前年対比で200%という数字を達成しました。

 

――それはすごい! 先ほど飲食業界に入る前、あまり飲食が好きではなかったと話していましたが、いつごろから好きになったんですか。

戸:27歳でマネージャーになって家族に恩返しができたとき、飲食をやっていて良かったと思うのと同時に、改めて好きになりました。プライベートの話になるんですが、両親が離婚したとき、僕は父についていって、妹が母の元に行ったんです。僕が高校に入学するタイミングで、妹は中学に上がるころでした。当時、家族で住んでいた一軒家が松戸にあって、慰謝料を払わない代わりに、父はそれを母たちに譲り渡します。ただローンは残っていますし、親父の名義だったから、母の両親は一緒に住むことができませんでした。そうした状況で十数年過ぎていくんですが、あるとき親父が病気で仕事を退職することになり、その家を売りたいと言い出したんです。厳格な父だったんですが、僕に電話をしてきたとき泣いていましたね。ローンも残っているので、親父の気持ちは分かります。ただ一方で、母も年なので生活能力がそんなに高くありません。完全に八方塞に陥りました。困ったなと考えた末、僕がその家を買うことにしたんです。親父はローンがなくなり、母親は住み続けられて、母の両親も一緒に住める。みんながハッピーになるなら安いんじゃないかなと。

 

――カッコいいですね。ちなみに、いくら負担をされたか聞いてもいいですか。

戸:ウン千万円ですね。でも家族4人が幸せになりましたから。そのとき飲食やっていてよかったなと思いましたし、これからは飲食業界に恩返しをしようという気持ちも芽生えました。

 

――戸張さんのお話を聞いていると、とても大胆で行動的な方なのかなと感じます。今、僕たち、第5世代の飲食経営者も増えてきていますが、戸張さんは独立志向を持っていらっしゃいますか?

戸:メジャー志向と言いますか、出世志向はありました。母親の面倒も見たいと思いましたし。ただ独立は考えていません。僕たちの世代は、慎重な方が多いのではないでしょうか。大山さんはどのように第五世代を見ていますか?

 

――確かに慎重な世代であると思っています。ただ一方で、成功した上の世代はもちろん、失敗した方のことも見られる。そうした観察を踏まえた上で、大胆に挑戦していく姿勢は価値になると考えています。もっと個性を出して、際立ってくる経営者も現れるのではないでしょうか。上の世代に対して、どういう印象を抱いていますか?

戸:カッコいい方が多くて、ずるいなと感じています。足立さんや渡辺さんはもちろん、憧れの方を挙げだしやらキリがありません。感性だけでなく、生き方もカッコいい経営者がたくさんいます。ただ現在、僕らが遊んでいる“大人が楽しめる店”は、上の世代が作ってきた店なので、これからは僕らが“大人の楽しめる店”を作っていけたら面白いですよね。

 

――だけど、なかなか商売に繋がらない「色気のある店」をずっと提案し続けてきて、ビジネスとして成功されているのがコメールさんだと思っています。大人が遊べる店作りこそ、コメールさんのDNAとも言えるのではないでしょうか。

戸:そうですね。それこそコメールの真骨頂だと、僕も感じています。前社長の足立も「自分がお姉ちゃんを口説ける店を作らないとダメだ」と言っていましたから(笑)。

 

――そこは戸張さんも継承されて(笑)

戸:裏のテーマとして(笑)。ただ自分が、そう思える店ではないと、他の人に使ってもらえませんから。僕自身が遊びたい店を作っていって、下の世代がそれに憧れてくれたら嬉しいですね。

 

――今後のコメールさんの展開はどのようになっていきますか?

戸:現在、うちは都内を中心に24店舗を展開中です。それを後3年で50店舗にして、売上も50億円を目指していきます。直近だと、新丸ビルの店が10周年を迎えたので、夏前にリニューアルして完全和業態にする予定です。三軒茶屋で「和音人 月山」などを運営している狩野君とコラボレーションして、メニューの開発なども行っていきます。僕たちの世代にしかできない提案をしていきたいですね。

 

――これからの個人としての目標はありますか?

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戸:ある程度、社内で自由にやらせてもらっていて、「GINZA SIX」に出店した「JASMINE 和心漢菜(ジャスミン ワシンカンサイ)」のプロジェクトも担当させてもらいました。会社ではないとできない経験をさせてもらっていますし、そこで勝負をしていきたいですね。また部下の将来はもちろん、その家族の将来もしっかりと背負っていきたいと考えています。昔から飲食は社会的な地位が低い傾向がありますが、少なからず僕は飲食業界で働いた経験を通して、大切な人へ恩返しができました。少しでも多くの社員に、そういう体験をしてもらいたいです。

 

――本日は、ありがとうございました。同じ年として、参考になる話がたくさんありました。これからもよろしくお願いします。

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インタビュアー:大山 正 文・構成:三輪大輔

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