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特集

【新・外食ウォーズ】「年商300億円のカベ」突破に向けてブランドの強化、新業態開発、海外・FC展開に取り組む サッポロライオン 社長 刀根義明(とね よしあき)

 サッポロライオンは03年のサッポロホールディングス(HD)の設立・事業再編に参画、上場を廃止した。以来、サッポロライオンとしての露出度は減ったが、グループ企業のサッポロビールとの協業、中長期的視点からの経営改革の推進など独自路線を歩んでいる。サッポロHDは09年にポッカコーポレーションと提携、13年1月には経営統合し、ポッカサッポロフード&ビバレッジを設立した。ポッカは1977年にシンガポールに進出、91年に「ポッカフードシンガポール」という外食店&生ケーキ販売店を設立、サッポロHDの経営統合を機に、サッポロライオンは「ポッカフードシンガポール」の事業を譲り受けた。これを引き金にサッポロライオンの海外展開が始まった。「日本のビヤホール文化を世界へ広げる」という方針で13年10月、ビヤホール「銀座ライオン」シンガポール1号店を開店した。これがヒットし現在2号店を展開している。サッポロライオンは15年には北海道・小樽のビアホール運営会社「ニュー三幸」を子会社化し、業容を拡大した。だが基幹店の「銀座五丁目店」と「新橋店」がビルの建替えで長期休業を余儀なくされた影響もあり、サッポロライオンの14年度の連結売上高は263億円(対前年マイナス4億円)、営業利益2億円(対前年マイナス1億円)にとどまった。「売上高300億円突破」を目指して、サッポロライオンの挑戦は続く。


訪日外国人客で大盛況 日本最古のビヤホール「銀座七丁目店」


ビヤホールライオン銀座七丁目店(今年で創建81年)350サッポロライオン(東京都中央区)は、ビヤホール「銀座ライオン」を主力に「ヱビスバー」「かこいや」「入母屋」など、国内外に約200店舗(直営174店舗、FC2店舖、ニュー三幸8店舗、海外16店舗=6月末現在)を展開している。
サッポロライオンの社長の刀根義明は、「昨年4月の消費税増税(5%→8%)で、昨年から今年にかけては売上高が対前年をクリアするのは難しいだろうと考えた」という。
刀根が続ける。
「そこで新規出店にはこだわらず、営業施策として既存店の強化に取り組むことにしました。また、不振店舗を閉鎖し、より伸びしろのある店舗については改装や業態転換などで底上げしていく考えでした。業態としては『銀座ライオンLEO(小型のビヤホール)』『銀座ライオン(大型のビヤホール)』『ヱビスバー』の3業態の展開に力を入れることにしました。もちろん、店舗物件や条件によっては新業態も開発するという柔軟なやり方です」
刀根がサッポロライオンの社長として最も力を入れて来たのは、「銀座ライオン」ブランドの再構築であり、「銀座ライオン」の多様化、小型化であった。サッポロライオンの歴史と刀根の足跡を振り返ってみよう。
サッポロライオンの前身は1899年(明治32年)8月4日に現在の銀座8丁目、天ぷら「天国」のある場所に開店した「惠比壽ビヤホール」である。これが日本初の「ビヤホール」だ。サッポロライオンでは8月4日を「ビヤホールの日」とし、「生ビール半額サービス」を実施するなど、毎年イベントを開催している。ところで、「ビヤホール」の現代的仮名遣いは「ビアホール」であるが、サッポロライオンは明治時代に用いられた「ビヤホール」という歴史的仮名遣いを尊重し、そのまま使っている。日本の「ビヤホールの元祖」という誇りを持っているからだ。
国内に現存する最古のビヤホールはサッポロライオンが経営する「ビヤホールライオン銀座七丁目店」(280席)だ。同店は34年(昭和9年)4月に完成した大日本麦酒本社ビル(戦後アサヒビールとサッポロビールに分割)の1階に併設された。建築家・菅原栄蔵の設計で、菅原作のガラスモザイクの大壁画が創建された。1階のビヤホールは今年で開業以来81年になるが、歴史的な価値も高く、創建当時の趣をそのまま残し現在に至っている。「銀座七丁目店」はビヤホールの代名詞という存在であるだけではなく、売上高、利益ともけた外れの大きさで、サッポロライオンの〝ドル箱〟として象徴的な店舗になっている。
成功の要因について社長の刀根はこういう。
「当社はビヤホールのパイオニアとして家庭では決して飲めない最高の生ビールを提供するために、徹底した品質管理を行なっています。銀座七丁目店は当社の源流となる店舗です。伝統の抽出技術『一度注ぎ』を採用、苦みの少ない軽くて飲みやすい生ビールを最適温度の2℃前後で提供し、お客さまに『うまい!』と喜んでもらっています。また、生ビールによく合うつまみとして時間と数量限定で名物のローストビーフを提供しています。銀座七丁目店では煮込み、石焼ジャーマンポテトなどの新メニューを投入、人気を得ています。銀座七丁目店で成功したメニュー、事例などを全店に導入して、店の活性化につなげています」
刀根は「銀座七丁目店」の品質、サービスに最善を尽くす一方、集客のためにインバウンド需要を取り込んだ。
「アベノミクスによる円安を引き金にここ2~3年、訪日外国人客が急増しています。銀座通りに観光バスが駐車。欧米、中国、台湾、韓国、タイなど、各国の団体客が『日本の歴史的なビヤホールでビールや食事を楽しむ』ことを目的に来店しています。最近、訪日外国人客が来店客の半分を超す時があります。また銀座七丁目店だけではなく北海道の店舗にも訪日外国人客が来店しています。これからの飲食店はインバウンド需要を取り込まないと厳しいかもしれません。今後は海外の代理店にも働きかけるなど、より一層各店舗に訪日外国人客を取り込んでゆく方針です」
人口減少社会や若者のビール離れで、ビール市場の長期低落が続いているところに、11年3月に発生した東日本大震災を引き金に宴会需要が減り、大箱の居酒屋やパブ・ビアホールは苦戦している。そんな中でサッポロライオンの「銀座七丁目店」は訪日外国人観光客の取り込みに成功し、まさに〝異次元の大繁盛〟を続けている。

アベノミクスの景気活性化で ビアガーデン人気が復活


ビヤケラー東京 新橋店 (1)350東日本大震災後、150席~300席もある大箱の居酒屋やビアホールは苦戦しているが、12年12月に発足した第2次安倍政権がデフレからの脱却を掲げた「アベノミクス」と呼ばれる景気浮揚策で、真夏の風物詩のビアガーデンの人気が復活している。ビアガーデンはバブル時代に絶頂期を迎えた。百貨店やホテルの屋上に開店した季節限定のビアガーデンは、会社帰りのオフィスワーカーを狙って派手な集客戦争を繰り広げた。ハワイアンを招いたり、ビンゴゲームを催したり、ついには「泥んこ女子プロレス」を開いた。
だが、91年のバブル崩壊を機にビアガーデン人気は急速にしぼんだ。「失われた10年」と言われるデフレ経済下で、ベースアップは見送られ、交際費やタクシー代なども削られた。それに追い打ちをかけたのが2005年頃から始まった「団塊の世代」の定年退職である。ビアガーデンの主要ユーザーであった団塊世代の退職はビアガーデン離れを加速させた。加えて08年9月のリーマン・ショック、11年3月の東日本大震災の発生などで、ビアガーデンは一時期火が消えたような感じになった。そのビアガーデンがアベノミクスで復活してきたのだ。昔からビールは天気・景気・人気の「3気」の飲み物だといわれているが、景気の活性化がビアガーデン人気に火を点けたのだ。
サッポロライオン社長の刀根はこういう。
「ビールというのはネアカの飲み物です。一人でカウンターの片隅でチビチビと飲むものではなく、学生時代や趣味の仲間などが集まって乾杯、みんなで口角泡を飛ばして議論し、楽しく飲む方が似合う飲料です。近年、横浜の赤レンガ倉庫で開催される春と秋のビール祭りにサッポロライオンも参加、生ビールを販売しています。ビール祭りには若い男女、若いファミリーなども見えますが、ジョッキに並々注がれた生ビールを片手にドイツ式の乾杯の歌『アインプロジット』をみんなで歌い、最後にアイン、ツバイ、トライの掛け声で一斉に飲みます。若い人たちが1杯1000円以上もするジョッキ生を何杯も飲み、それは物凄い盛り上がりです。あれを見ていると若者のビール離れなんて本当にあるのか、と疑問に思いますね。もっと生ビール楽しく飲める環境の提供、歌ったり踊れたりする場所や店舗展開ができれば、若者や女性のビール需要はもっと伸びると思いますね」
最近、ビール会社やクラフトビール会社などが連携し、ビール祭りを開催するケースが増えている。若者のビール離れを食い止め、ビール需要を底上げする上でもビール祭りなどのイベントは今後増えるだろう。

サッポロライオンの経営改革 銀座ライオンの小型化、多様化


2015開店ヱビスバー札幌アピア店(業態転換)350サッポロライオン社長の刀根は10年3月に常務執行役員営業本部長に就任、12年3月に社長に就くが、営業本部長時代に同社の店舗を回って下記③点の課題克服をテーマにした。
①大型店舗のコストリスク回避
②小回りの運営・オペレーションの克服
③従来以外のエリア・立地への出店(私鉄沿線、小型物件の獲得)
刀根は12年に社長に就くと④を付け加えた。
④「銀座ライオンブランド」の強化
刀根は上記の視点から「銀座ライオン」の強化、多様化、小型化に努めた。
「当社は歴史的にシニア層、その中でも団塊の世代をメインターゲットにしてきました。
首都圏のビジネス街・繁華街などに大型店を展開、団塊の世代などのオフィスワーカーを取り込んで成長してきたのです。ところが、05年頃から団塊世代のリタイアが始まり、多くはビジネス街や繁華街から去り、JRや私鉄沿線にある自宅近隣がメインの活動場所になりました。このため、リタイア組が来店しやすいように私鉄沿線などに『銀座ライオン』の小型店を開店する必要が生まれたのです。その一方では都心部の『銀座ライオン』はこれまであまり『銀座ライオン』に来店していない若年層や女性客を獲得し、次世代の『銀座ライオン』の顧客獲得につなげる必要が生まれたのです。訪日外国人客の獲得もそういう流れの中から取り組んだものです」
刀根は常務執行役員営業本部長時代の10年7月、「銀座ライオン 八重洲地下街店」の内装を若者や女性客向けに考えた。12年2月、「丸の内センタービル店」では内装を「銀座七丁目店」タイプにし、若者や女性客に加え、従来の「銀座ライオン」業態の利用層(メイン40~60歳のオフィスワーカー)の取り込みを図った。
さて、刀根が主力のビヤホール「銀座ライオン」の小型化で最大の狙いとしたのは、FC(フランチャィズチェーン)化であった。
「当社の場合、伝統的な抽出技術である『一度注ぎ』のおいしい生ビールを徹底した品質管理で提供するという鉄則があって、これまで直営店を主力に展開して来ました。現在FCで展開しているのは2店舗だけです。これでは店舗展開に限界があるので、『銀座ライオン』の小型化により、FC展開を図ることにしました。出店形態を標準化、パターン化し低投資出店の可能性を探りました。また店舗オペレーションを統一、効率化し、アルバイトでも調理人の作った料理とそん色のないグレードの料理を出せるようなシステムを開発しました」
刀根は「銀座ライオンLEO」のFCパッケージを開発、今年3月に開催された「日経FC ショー」に出展、FC募集に踏み切った。詳しくはサッポロライオンに確認して欲しいが、「開業までに必要な資金」は大ざっぱに4480万円。35坪で坪2万円の物件を想定している。長く直営店主義を貫いて来たサッポロライオンが小型「銀座ライオンLEO」を開発し、本格的にFC展開に踏み切るというのは、大げさに言えば歴史的な戦略転換といえる。
一方、刀根は「銀座ライオン」の小型化によって、若手社員の早期人材育成に道筋をつけた。
「サッポロライオンの大型店舗では、通常「支配人」の下に副支配人などサブを複数置き、店長修行を行なうシステムです。けれども、『銀座ライオン』の小型店(35坪前後)には各店に店長を配置し、その上に複数店舗を統括・兼務する『支配人』を配置することにしたのです。これは『ヱビスバー』(30~50坪以下)のシステム、すなわち社員2名体制(ホール客席・調理場各1名)を適用したものです。こうすることで若手社員が店長に昇格する年数が短くなり、店長になって店舗運営を経験することで、早期人財育成に繋がります」
刀根は「銀座ライオン」の小型化でFC展開に挑戦、これをきっかけに地方都市への小型「銀座ライオン」(14年名古屋市「サカエチカ店」、「静岡店」実績)の展開にもつなげていこうとしている。
刀根は中長期的にシンガポール及び近隣諸国で「銀座ライオン」を10店舗展開する計画を進めている。
刀根流の経営改革が前進すれば、約2年でサッポロライオンが「売上高300億円突破!」する日がやって来そうである。
略歴
刀根社長1 刀根義明(とね よしあき)

1953年5月生まれ、62歳。東京都出身。76年3月、学習院大学経済学部卒業。同年4月サッポロビール入社、仙台支店業務課に配属。以来、名古屋支社、東京支社、関東甲信越本部、
東海北陸本部など営業一筋で歩き、2009年常務執行役員首都圏本部長に就任。10年3月、サッポロビール退社、サッポロライオン入社、取締役常務執行役員営業本部長就任。12年3月、現職に就任した。「銀座ライオン」業態のブランド力強化にによる既存店の活性化、新業態「ヱビスバー」などの展開、そして海外展開に取り組んでいる。

(文中敬称略)

外食ジャーナリスト 中村芳平

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