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編集長コラム

外食経営者「カリスマの功罪」

PROFILE

佐藤こうぞう

佐藤こうぞう
香川県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、日本工業新聞記者、雑誌『プレジデント』10年の編集者生活を経て独立。2000年6月、飲食スタイルマガジン『ARIgATT』を創刊、vol.11まで編集長。
その後、『東京カレンダー』編集顧問を経て、2004年1月より業界系WEBニュースサイト「フードスタジアム」を自社で立ち上げ、編集長をつとめる。

外食業界で一斉風靡した株式会社ちゃんとが負債36億円を抱え、民事再生を申請した。事実上の倒産である。大阪を拠点に急成長し、1998年に東京進出を果たしてから10数年、都心で数々の話題店を展開してきたが、ついに矢尽き、刀折れた。ちゃんとの倒産は何を物語っているのだろう。


ちゃんと創業は1993年、1号店は創作和食の「ちゃんと。」心斎橋店だった。カリスマ性があり、矢沢永吉に心酔する岡田賢一郎社長の外食業界デビューは派手だった。岡田氏が考案した「キムチの王様」は1995年10月に「日経レストランメニューグランプリ」で大賞を受賞、その名は全国に広まった。その勢いに乗って東京進出を果たした。私の記憶に鮮明に残っているのは、東京2号店の「ケンズダイニング」だった。新宿東口すぐの立地にオープンした大箱で、この頃「アリガット」創刊準備のためにネタ探しをしていた最中だった。2000年5月、銀座に新和食のデザイナーズレストラン「橙家」をオープン、ちょうどマーケットでは「ノブ東京」などの“新和食”が増えてきており、「アリガット」創刊号も新和食特集に決め、取材した。その後、ちゃんとは一気に店舗を増やし、外食業界の矢沢永吉、岡田“ケンちゃん”という名前は一躍、東京外食マーケットシーンのスターダムにのし上がった。しかし、岡田氏の片腕で、東京進出の陣頭指揮をとってきた井上盛夫氏(元副社長)が2002年に会社を去ったあたりから、迷走を始める。丸ビルに「醍醐味」を出店した2002年9月から、新業態が出てこない。「ちゃんと。」は増え続けるものの、すでに業態としての賞味期限は切れており、岡田氏が得意だった圧倒的な差別化業態の創造がぴたりと止んでしまった。その後出てきた韓国料理「いふう」も起爆剤にはならなかった。一方で岡田氏自身は、念願だったニューヨーク進出を果たすが、すでに既存店には勢いがなく、ジリジリを売上げを落とすしかなかった。ちゃんとの失敗は、岡田氏というカリスマ経営者が“裸の王様”になってしまい、井上氏の後を次ぐナンバー2が不在だったことだろう。岡田氏の栄光をいつまでも引きずり、マーケットトレンドが大きく変化しているのに、それに対応して会社の体質を変えられなかったことが原因だ。既存店のスクラップアンドビルド、ブラッシュアップ、トレンドの先を行く業態開発等の努力を怠ってきたツケが溜まった結果だろう。社訓でもあった矢沢永吉の“鎖を引きちぎれ”どころか、大きな負債という鎖に絡まれて身動きできなくなってしまった。カリスマ経営者には、強力なリーダーとしての“功”とワンマンとしての“罪”の両面が必ずある。外食業界を見渡せば、カリスマ性の強い経営者があふれている。かつて退場を余儀なくされたカリスマ経営者としては、関西勢では小林事務所の小林敬氏、UGグローイングアップの宇都宮俊晴氏、東京勢ではソーホーズ・ホスピタリティ・グループの月川蘇豊氏など、いずれもマスコミで華やかに取り上げられた。いまマスコミに賑やかに登場している経営者も、決して他人事ではないはずだ。外食業界は常に変化している。とくにマーケットトレンドの移り変わりは激しい。「流行に乗るからダメなんだ」という意見をよく聞くが、流行を知らずして舵を取れないのもこの業界だ。大事なことは「不易流行」。流行の先を読み、新しい軸(不易)をしっかり創らなければならない。そして、経営者のやるべきことは、大きな変化の波にぶち当たったとき、大胆な方向転換や脱皮、創造的な破壊ができるかどうかである。 

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